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普門寺(三村)

 石岡市三村はかつては新治郡三村という名前の村であった。
昭和29年に隣の関川村とともに石岡市に合併されたが三村というのがそのまま地名に残った。
ただ一部は千代田村に編入されかすみがうら市になった。

その三村小学校のある高台には戦国末期に府中(常陸)大掾氏の支城「三村城」があったが、小田氏に滅ぼされた。
まるで敵の中に城を築いたかのような出城に思える。

この城の主「常春(つねはる)」が興した曹洞宗万隆山常春寺(じょうしゅんじ)が城跡の東の麓にあるが、今日紹介するのは城跡の西側の少し高台にある「普門寺」という真言宗豊山派の寺である。

正式名称は醫王山吉祥院普門寺。

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この寺の創建は永禄2年(1559)に源海法師により開基されたといわれている。

1559年といえばまだ小田氏の支配下とはなっていないはずだ。
なにしろこのあたりで「普門寺」といえばつくば市北条にある「普門寺」を思い浮かべる。
ここは小田氏の勢力下にあった寺で、1374(応安7)年に、小田孝朝が小田城の守りとして定めた小田領4ケ寺(普門寺、大聖寺、法泉寺、南円寺)の一つといわれた大きな寺であった。

こちらの普門寺も4カ寺のひとつである「南円寺」の末寺であったという。
室町の頃には(つくば市)普門寺は僧兵五百、(かすみがうら市)南円寺は僧兵三百もいたというのでかなり大きな規模の寺であったようだ。
その末寺なので当然小田氏との関係が強く感じるが、創建当時はどんな関係があったのだろうか。

こちらの山門は元文(げんぶん)5年(1740)の建立と書かれていたが、だいぶ修理したのだろうか屋根もきれいであった。

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鐘楼は大正時代。
手前の宝篋印塔?はいつのものだろうか。
時代を感じさせる。

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大きな本堂。昭和53年に再建されたものだそうだ。


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本堂入り口に「三光松」と石碑があったが、いきさつはわからない。
つくばの三光院普門寺から持ってきたものなのかもしれない。



高浜・三村地区 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2017/01/26 20:56
コメント
三光松
普門寺本堂前にある三光松
通常松の葉は2本一対が普通とされているの
に対し三光松の葉は3本一対です。
その事からの語源からどうかはわかりませんが以前住職から三光松のお話をいただいた事があります。
人と住職と仏と三位一体を感じる素敵なお寺です。
ぎん様
三光松のお話 ありがとうございます。
2年前の記事ですが、お教えいただくとまた行ってみたい気になります。

盆栽やお正月の松などに主に使われるのがこの名前の松らしいですね。
でも少し見た目は違うので、以下のご住職様のお話で少し意味が分かったように思います。

> その事からの語源からどうかはわかりませんが以前住職から三光松のお話をいただいた事があります。
> 人と住職と仏と三位一体を感じる素敵なお寺です。

ありがとうございました。
あの辺りは未だ未だ自然豊かで子供達も活き活きと走り回ってますよね。
高浜の方から三村に向かうと橋を渡ると思うんですが、橋は愛嬌橋その下を流れる川は恋瀬川…愛に恋…会いに来いと仏から導かれて…昔そんな話を聞いた事もあります。
私も又行きたくなりました。
ざん様
> あの辺りは未だ未だ自然豊かで子供達も活き活きと走り回ってますよね。

そうですね。三村の須賀神社?のお祭りもにぎやかなようですね。
昔の城の名残の地名も残されていますね。
子供たちも子供らしいのでしょうね。

> 高浜の方から三村に向かうと橋を渡ると思うんですが、橋は愛嬌橋その下を流れる川は恋瀬川…愛に恋…会いに来いと仏から導かれて…昔そんな話を聞いた事もあります。

愛に恋ですか・・・

確かに。 恋人の聖地に指定しましょうか

愛嬌橋 ⇒ 愛郷橋?
備中三村氏
毛利氏に滅ぼされるまで備中岡山で勢力を奮った「三村氏」は常陸三村郷を発祥とすると聞きます。その三村郷というのはこちらのことでしょうか。。
Re: 備中三村氏
> 毛利氏に滅ぼされるまで備中岡山で勢力を奮った「三村氏」は常陸三村郷を発祥とすると聞きます。その三村郷というのはこちらのことでしょうか。。
Re: Re: 備中三村氏
きりぎりす様

>> 毛利氏に滅ぼされるまで備中岡山で勢力を奮った「三村氏」は常陸三村郷を発祥とすると聞きます。その三村郷というのはこちらのことでしょうか。

この三村というのがこちらの三村かどうかについて、残念ながら私には判断できません。
こちらの方で読んだりした記録には載っていないのですが、他に筑波や小田、真壁などの方に三村という名前は聞いたことがありません。
この三村も古くから使われていた地名のようです。またいろいろ昔の文献でも隠れた記録が眠っているような気もします。

平氏と源氏ともにかなり古くから近くに住していますので備中三村氏がこちらの出ということは十分に考えられそうに思います。
機会がありましたら調べてみたいものです。




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