猿田神社(2)
銚子の猿田神社の2回目です。
猿田神社のある場所は銚子の台地のかなり奥にある。
かなり古い古社で行ってみると確かに大きな神社だ。
猿田彦は神話の世界では九州から大和までの移動の道案内をした神様となっている。
サルタという言葉も「猿」という字を当ててしまったのでどうも意味を取り違えそうだ。
サルタ、サタなどという言葉が前を案内する「先達」というような語源から来ているということを前に読んだことがある。
九州の佐多岬のサタも同じ意味だという。
この銚子にこの猿田神社があることが不思議なのだが、九十九里浜あたり上陸して内陸を目指した4~5世紀頃?何かがあったのかもしれない。

神社は奥の森の中にあり、猿田彦が降臨した場所が神社の裏手の樹叢の中にある。


正面に拝殿。その右側に受付の巫女さんたちがいる。


本殿は戦国時代に消失したが、天正2年(1574年)に再建し、現在の本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものだそうだ。
かなり立派なものだ。


Wikipediaによれば、社伝によれば、垂仁天皇25年(紀元前4年)11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社(神戸)の摂社になったという。
この時代はかなり年代的には合っていないと思いますが、かなり古いことは間違いないでしょう。
この神社の説明は2013年にも書いています。
しかし今回は奥ノ院、元宮の方にも行ってきました。
こちらは明日にでも書きます。
猿田神社のある場所は銚子の台地のかなり奥にある。
かなり古い古社で行ってみると確かに大きな神社だ。
猿田彦は神話の世界では九州から大和までの移動の道案内をした神様となっている。
サルタという言葉も「猿」という字を当ててしまったのでどうも意味を取り違えそうだ。
サルタ、サタなどという言葉が前を案内する「先達」というような語源から来ているということを前に読んだことがある。
九州の佐多岬のサタも同じ意味だという。
この銚子にこの猿田神社があることが不思議なのだが、九十九里浜あたり上陸して内陸を目指した4~5世紀頃?何かがあったのかもしれない。

神社は奥の森の中にあり、猿田彦が降臨した場所が神社の裏手の樹叢の中にある。


正面に拝殿。その右側に受付の巫女さんたちがいる。


本殿は戦国時代に消失したが、天正2年(1574年)に再建し、現在の本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものだそうだ。
かなり立派なものだ。


Wikipediaによれば、社伝によれば、垂仁天皇25年(紀元前4年)11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社(神戸)の摂社になったという。
この時代はかなり年代的には合っていないと思いますが、かなり古いことは間違いないでしょう。
この神社の説明は2013年にも書いています。
しかし今回は奥ノ院、元宮の方にも行ってきました。
こちらは明日にでも書きます。
コメント