橘郷造神社
先日銚子に向かう時に、霞ケ浦の東側の道(国道355)をいつものように南に走っておりました。
そして行方市に入ってしばらくすると「羽生」(はにゅう)の郵便局のところを通りました。
なぜかこの時に久しぶりに「橘郷造神社」に行ってみたくなりました。
ここには羽生の地名の由来となっている話が伝わっています。
ヤマトタケルが東京湾を渡るときに、海が荒れていて渡れませんでした。
そこで妻である「弟橘姫」が入水して波を鎮めるのですが、この時に髪に指していた笄(こうがい)が流されてこの地に流れ着きました。
そこに「鳥が集まってきて笄を加えてこの場所に運んだ」、または笄が「羽を生やして自らここに飛んできた」という伝説があるのです。
ただ私の興味はこの神社の名前です。「橘郷」(たちばなごう)という呼び名がこのあたりに昔から伝わっていることです。

ただこの神社の横を新しい道ができ、神社の参道がかなりの部分削られてしまいました。
前に工事中の時に訪れて「こうして歴史から消えていく」というブログ記事を書いた覚えがあります。

まあかろうじて参道部分は残りましたが、参道の杉の木がかなり切り倒されてしまいました。
現在苗木を植えていたので、何十年かすればある程度は復活してもこの神社の持つ神秘性などはほとんど消えてしまいました。




「橘郷」としてブログをまとめていますのでよろしかったら昔の記事を読んでください。
⇒ こちら
そして行方市に入ってしばらくすると「羽生」(はにゅう)の郵便局のところを通りました。
なぜかこの時に久しぶりに「橘郷造神社」に行ってみたくなりました。
ここには羽生の地名の由来となっている話が伝わっています。
ヤマトタケルが東京湾を渡るときに、海が荒れていて渡れませんでした。
そこで妻である「弟橘姫」が入水して波を鎮めるのですが、この時に髪に指していた笄(こうがい)が流されてこの地に流れ着きました。
そこに「鳥が集まってきて笄を加えてこの場所に運んだ」、または笄が「羽を生やして自らここに飛んできた」という伝説があるのです。
ただ私の興味はこの神社の名前です。「橘郷」(たちばなごう)という呼び名がこのあたりに昔から伝わっていることです。

ただこの神社の横を新しい道ができ、神社の参道がかなりの部分削られてしまいました。
前に工事中の時に訪れて「こうして歴史から消えていく」というブログ記事を書いた覚えがあります。

まあかろうじて参道部分は残りましたが、参道の杉の木がかなり切り倒されてしまいました。
現在苗木を植えていたので、何十年かすればある程度は復活してもこの神社の持つ神秘性などはほとんど消えてしまいました。




「橘郷」としてブログをまとめていますのでよろしかったら昔の記事を読んでください。
⇒ こちら
コメント