高木神社(小美玉市与沢)
茨城空港の南東側にある小美玉市の東端に与沢、倉数という地区がある。
2~3週間前に倉数にある「潮宮神社」を訪ねてみようと倉数まで行った。
そこに倉数公民館があり、神社も確かこのあたりから左に入ったところにあったはずだと地図も見ずに曲がって奥に入っていった。
道はすぐに狭くなって右は田圃で左は山。
さて、道を間違えたとどこかでUターンしようとしたがそんな空地はない。
バックしようと考えたが後ろから農作業用の軽トラがやってきた。
下手なところで切り返して脱輪しても困るのでそのまま道なりに進むことにした。
車は通る道らしいのでどこかで開けたところに出そうだった。
そしてこの「高木神社」というところへ出た。
そこから先は道も幾分広くなっていて他の車もいるようなので一安心し、神社見物をしていくことにした。

比較的新しい社で、丁寧に守られている神社であった。

このようになにもなさそうな神社も見つけると立ち寄ることが多い。
また「高木神社」などと何も変哲もなさそうな神社の名前も気になる。
前に美浦村の「土屋(稲荷)神社」も結構収穫があった。
こちらは明治になって最後の土浦城主土屋挙直(しげなお)の子土屋正直(まさなお)が経営する農場がここにあった。
そこからこの地の開拓の歴史も見えてきた。
ここの高木神社は何かあるのだろうか?

神社に由緒が書かれていた。
でもこれだけではよくわからない。
早速調べてみる。
創建は寛保3年1743年と比較的新しい。(その前は不明)
主祭神は「高皇産霊大神」と書かれているがこの神様はよくわからない。
Wikipediaで調べてみると
「『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。
別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である[1]。女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。」
と書かれていた。
それでこの高木神社の名前がわかった。
高木神=高皇産霊(タカムスビ)のことだった。
するとこの神社は日本神話に国造りの時に高天原に降臨した神の1人で皇室にかかわる重要な神を祀っていることになる。
そんなことを考えて現地の説明板を読んでいくと、次に面白い記述がある。
「戦前は本宮千葉県山倉大神山伏姿で訪ね法螺貝を吹き鳴らしご神体を背負い次の部落まで送る行事は現在は取り止めている。」
さてではこの山倉大神を調べてみる。
この神社は千葉県香取市にある811年の創建といわれる古社で「大六天王社の総社」という。
Wikipediaでは
「江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。」
と書かれている。
これはこちらの神社へも行ってもう少し掘り下げてみる必要がありそうだ。
2~3週間前に倉数にある「潮宮神社」を訪ねてみようと倉数まで行った。
そこに倉数公民館があり、神社も確かこのあたりから左に入ったところにあったはずだと地図も見ずに曲がって奥に入っていった。
道はすぐに狭くなって右は田圃で左は山。
さて、道を間違えたとどこかでUターンしようとしたがそんな空地はない。
バックしようと考えたが後ろから農作業用の軽トラがやってきた。
下手なところで切り返して脱輪しても困るのでそのまま道なりに進むことにした。
車は通る道らしいのでどこかで開けたところに出そうだった。
そしてこの「高木神社」というところへ出た。
そこから先は道も幾分広くなっていて他の車もいるようなので一安心し、神社見物をしていくことにした。

比較的新しい社で、丁寧に守られている神社であった。

このようになにもなさそうな神社も見つけると立ち寄ることが多い。
また「高木神社」などと何も変哲もなさそうな神社の名前も気になる。
前に美浦村の「土屋(稲荷)神社」も結構収穫があった。
こちらは明治になって最後の土浦城主土屋挙直(しげなお)の子土屋正直(まさなお)が経営する農場がここにあった。
そこからこの地の開拓の歴史も見えてきた。
ここの高木神社は何かあるのだろうか?

神社に由緒が書かれていた。
でもこれだけではよくわからない。
早速調べてみる。
創建は寛保3年1743年と比較的新しい。(その前は不明)
主祭神は「高皇産霊大神」と書かれているがこの神様はよくわからない。
Wikipediaで調べてみると
「『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。
別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である[1]。女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。」
と書かれていた。
それでこの高木神社の名前がわかった。
高木神=高皇産霊(タカムスビ)のことだった。
するとこの神社は日本神話に国造りの時に高天原に降臨した神の1人で皇室にかかわる重要な神を祀っていることになる。
そんなことを考えて現地の説明板を読んでいくと、次に面白い記述がある。
「戦前は本宮千葉県山倉大神山伏姿で訪ね法螺貝を吹き鳴らしご神体を背負い次の部落まで送る行事は現在は取り止めている。」
さてではこの山倉大神を調べてみる。
この神社は千葉県香取市にある811年の創建といわれる古社で「大六天王社の総社」という。
Wikipediaでは
「江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。」
と書かれている。
これはこちらの神社へも行ってもう少し掘り下げてみる必要がありそうだ。
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