山倉大神(1)
大六天神宮の総本山であったという千葉県香取市の山倉大神に行ってきました。
茨城県にいるとこの大六天を祀っているところはそれほど多くはありません。
この神社(山倉大神)の創建は西暦811年とかなり古く、大六天王社の総本山と言われて人々の信仰を集めていたという。
の山倉大神もこの山倉地区の観福寺の別当として一体で祀られていたようだ。
それが明治の神仏分離で、こちらは神社となり大六天王は寺である館福寺に移し、こちらは神社として名前を「山倉大神」に改めて祭神も「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を祀ることにしたらしい。(明治3年)

しかしこの神社の本殿には「大六天神宮」と大きく掲げられている。
本殿は安永7年(1778年)に建立されたもので彫刻もかなり凝ったものだ。






この狛犬の表情もいい。


それにしてもこのような場所にこのような神社があることを今まで知らなかった。
小美玉市と行方市の境に近い「高木神社」を偶然見かけてこの神社のことを知った。
大六天といえば魔王とも呼ばれ、生まれ変わりと自称していた織田信長を思い出すが、最強の神のようだが、この近くでは「久保神社」を思い出す。(前に書いた記事は ⇒ こちら1、こちら2)
この久保神社に行った時に気が付くべきだったのだが、ずいぶん時間が立ってしまった。
また潮来にもあった。(記事は ⇒ こちら1、こちら2)
茨城県にいるとこの大六天を祀っているところはそれほど多くはありません。
この神社(山倉大神)の創建は西暦811年とかなり古く、大六天王社の総本山と言われて人々の信仰を集めていたという。
の山倉大神もこの山倉地区の観福寺の別当として一体で祀られていたようだ。
それが明治の神仏分離で、こちらは神社となり大六天王は寺である館福寺に移し、こちらは神社として名前を「山倉大神」に改めて祭神も「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を祀ることにしたらしい。(明治3年)

しかしこの神社の本殿には「大六天神宮」と大きく掲げられている。
本殿は安永7年(1778年)に建立されたもので彫刻もかなり凝ったものだ。






この狛犬の表情もいい。


それにしてもこのような場所にこのような神社があることを今まで知らなかった。
小美玉市と行方市の境に近い「高木神社」を偶然見かけてこの神社のことを知った。
大六天といえば魔王とも呼ばれ、生まれ変わりと自称していた織田信長を思い出すが、最強の神のようだが、この近くでは「久保神社」を思い出す。(前に書いた記事は ⇒ こちら1、こちら2)
この久保神社に行った時に気が付くべきだったのだが、ずいぶん時間が立ってしまった。
また潮来にもあった。(記事は ⇒ こちら1、こちら2)
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