古墳とハス田
大井戸公園を後にして国道355線に出る前にもう一つ立ち寄っておきたい場所がありました。

この変わった形の古墳です。
まわりはハス田です。

玉里の名前の由来はヤマトタケルが「よく(水が)溜まれる場所だ」といった事から来ているといわれる。
このためもあり、このハス田は霞ケ浦沿いにたくさん広がっている。
田余(たあまり)村 から 玉里(たまり)村 に変わったのも1955年なので、そんなに昔のことではない。
またこの玉里地区にはたくさんの古墳がある。
その中でもこの古墳は変わっている。
古墳の上には神社の鳥居があり、小舟塚神社という。
この古墳が昔は前方後円墳だったらそうで、半分以上が削られてこんな形で残ったものだそうだ。

前に来たときはまわりのハス田は水が凍っていた冬だが、今はレンコン掘りもまだおこなわれていた。

レンコン掘りも5月頃でほぼ終わりとなるだろう。
寒い冬の水作業で大変。
でもこんな春の陽気ならそれほど辛そうには思われない。

この変わった形の古墳です。
まわりはハス田です。

玉里の名前の由来はヤマトタケルが「よく(水が)溜まれる場所だ」といった事から来ているといわれる。
このためもあり、このハス田は霞ケ浦沿いにたくさん広がっている。
田余(たあまり)村 から 玉里(たまり)村 に変わったのも1955年なので、そんなに昔のことではない。
またこの玉里地区にはたくさんの古墳がある。
その中でもこの古墳は変わっている。
古墳の上には神社の鳥居があり、小舟塚神社という。
この古墳が昔は前方後円墳だったらそうで、半分以上が削られてこんな形で残ったものだそうだ。

前に来たときはまわりのハス田は水が凍っていた冬だが、今はレンコン掘りもまだおこなわれていた。

レンコン掘りも5月頃でほぼ終わりとなるだろう。
寒い冬の水作業で大変。
でもこんな春の陽気ならそれほど辛そうには思われない。
100m級の前方後円墳ではなかったかとも言われています。
> まわりはもしかすると掘があったのでしょうか?
昔がどうなっていたかはわかりませんが、あたり一帯は低地のため、昔は洪水にも悩まされていたところにも近いかもしれません。
あまり地元の方以外にはこの前を通ることはありませんので意外に知られていないように思います。
でもわたしは、このこの雰囲気が好きですのでこうして紹介させていただきました。
レンコン掘りは真冬は厳しいですね。
私も昨年、クルマで通りがかって、変わった形だなあ、と思い頂上の神社に登ってみたことがあります。階段が急で転げ落ちそうになりました。
昔はずいぶん大きな前方後円墳だったのですね。
神社の名前からすると、洪水などの際、周辺の人々が避難する水塚のような役割も果たしていたのかも知れませんね。
お返事遅くなりました。
こちらの方にも来られたことがあるのですね。
本当の地元の方以外にはあまり通らない通りだと思いますので驚きですね。
とても変わった古墳ですよね。
昔はもう少し水面が高かったかもしれないので古墳時代にどのような形態だったのか不思議です。
水害で上に逃げるというにはこじんまりしていますし、別に山もありますので・・・
水塚というのがあるのですか? よくわかりませんが面白そうですね。
機会があったら調べてみたいです。
コメントありがとうございました。
>
> 私も昨年、クルマで通りがかって、変わった形だなあ、と思い頂上の神社に登ってみたことがあります。階段が急で転げ落ちそうになりました。
> 昔はずいぶん大きな前方後円墳だったのですね。
> 神社の名前からすると、洪水などの際、周辺の人々が避難する水塚のような役割も果たしていたのかも知れませんね。
そうですね、川沿いでもないので、洪水などは起こりそうもないですし、自然の高台もたくさんありますものね。。。
私も実は詳しい訳ではないのですが、多摩川沿岸の自然堤防上の古墳に神社があり、後世の洪水時に村人が避難して助かった、という話があるようなのでそのように思った次第です。
連休明けに所用があり、また霞ヶ浦に伺う予定です。何とか時間を作って、周辺を回れたらよいな、と思っていますが、今回は難しそうです。
実はこのあたりは洪水被害は結構ありました。
昔霞ケ浦が汽水湖であった時には利根川と繋がっているので利根川が増水したときに逆流して大水害が何度も起きています。
昔話でも残っていれば同じようなことがあったのかもしれませんね。
今は水門があり、また堤防の整備も進んだために洪水はありません。
こちらに来られるのでしたらお時間があれば声をかけてください。