水郷旧家磯山邸と津軽河岸
潮来の前川アヤメ園をざっと眺めて先を急ぎました。
まえから潮来駅近くに「水郷旧家磯山邸」という看板があり、また前川のアヤマ園近くにも案内看板が設置されていましたので立ち寄っていくことにしました。

場所は前川のアヤメ園から400mほど上流で、潮来駅にも近い。

この磯山邸は明治期のものとも言われていますが、建設されたのは約60年前の昭和29年?頃。
水郷の面影を残す旧家というので行ってみたが、思っていたものとは違っていた。

この邸宅の家主が引っ越して、ここを市に寄贈した。
そして潮来市はここを耐震補強などをし、畳や内装も霧にリニューアルして各種観光用のイベント会場などに活用していくようだ。
潮来花嫁の衣装展示などをして、アヤメ観光の観光客をこちらの方にまで広げたいと思っているようだ。

冷たいお茶のサービスや観光スタッフなども熱心にふるまっており、どのように変わるか楽しみでもある。

この庭も今後何か考えていくのでしょう。


さて、意外に知られていないが、江戸時代初期から中期には、東北から江戸への物資輸送にこの前川が使われ、各藩の倉庫や河岸が並んでいた。
この磯山邸のまえに大谷石でできた大きな石蔵が置かれていた。
調べるとこれはJAがコメの保存の為に使ってきたものらしい。
筑波山の麓にもあった石蔵RIZと同じような作りに見える。(記事は⇒こちら)
石蔵RIZの方は「昭和27年(1952)に建てられたもので、戦後のわが国の食糧事情を考えて米の安定供給を図る目的で建てられた」とあったので、目的も建てられ時期も同じころかもしれない。

潮来市ではこの石蔵を喫茶などのカフェを開いて、あやめ祭りなどの時の観光客を船でここにも上陸させて広い地域に観光を広げたいという計画のようだ。

この場所は前川がすぐ横を流れており、昔「津軽河岸」があったという場所らしい。
「仙台河岸」も隣にあったようだ。
私としてはこの先の辻まで広げて硯宮神社や愛友酒造の酒蔵見学なども一緒に江戸時代の霞ケ浦や北浦の水運がわかるような動線を構築してもらいたいと思う。

来年にはもう少し変わってくるかもしれない。ウォッチしておきたい。
まえから潮来駅近くに「水郷旧家磯山邸」という看板があり、また前川のアヤマ園近くにも案内看板が設置されていましたので立ち寄っていくことにしました。

場所は前川のアヤメ園から400mほど上流で、潮来駅にも近い。

この磯山邸は明治期のものとも言われていますが、建設されたのは約60年前の昭和29年?頃。
水郷の面影を残す旧家というので行ってみたが、思っていたものとは違っていた。

この邸宅の家主が引っ越して、ここを市に寄贈した。
そして潮来市はここを耐震補強などをし、畳や内装も霧にリニューアルして各種観光用のイベント会場などに活用していくようだ。
潮来花嫁の衣装展示などをして、アヤメ観光の観光客をこちらの方にまで広げたいと思っているようだ。

冷たいお茶のサービスや観光スタッフなども熱心にふるまっており、どのように変わるか楽しみでもある。

この庭も今後何か考えていくのでしょう。


さて、意外に知られていないが、江戸時代初期から中期には、東北から江戸への物資輸送にこの前川が使われ、各藩の倉庫や河岸が並んでいた。
この磯山邸のまえに大谷石でできた大きな石蔵が置かれていた。
調べるとこれはJAがコメの保存の為に使ってきたものらしい。
筑波山の麓にもあった石蔵RIZと同じような作りに見える。(記事は⇒こちら)
石蔵RIZの方は「昭和27年(1952)に建てられたもので、戦後のわが国の食糧事情を考えて米の安定供給を図る目的で建てられた」とあったので、目的も建てられ時期も同じころかもしれない。

潮来市ではこの石蔵を喫茶などのカフェを開いて、あやめ祭りなどの時の観光客を船でここにも上陸させて広い地域に観光を広げたいという計画のようだ。

この場所は前川がすぐ横を流れており、昔「津軽河岸」があったという場所らしい。
「仙台河岸」も隣にあったようだ。
私としてはこの先の辻まで広げて硯宮神社や愛友酒造の酒蔵見学なども一緒に江戸時代の霞ケ浦や北浦の水運がわかるような動線を構築してもらいたいと思う。

来年にはもう少し変わってくるかもしれない。ウォッチしておきたい。
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