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六所神社(銚子市諸持町)

 毎日ブログを更新していたのが途切れるとやはりブログを書く手が進まなくなる。
今は週に2回くらいの更新ペースに落ちてしまった。

しかしブログ以外にFBだけでの情報発信もしているので毎日とはいかないがそれでも2日に1回くらいの更新ペースは維持していると思う。
このブログのほかにグルメ記事などの別冊もあるのでやはりまだまだ忙しく書いていることになろう。
来月(8月)でブログ開設して7年になる。

どこまで続けられるかはわからないがまだまだ知らないことがたくさんある。

今日はもう1か月くらい前に銚子に出かけたとき途中で立ち寄った神社を紹介しましょう。
もう数年前から香取から銚子のほうまでかなり回り、いろいろ調べてきたが、どうも見落としていることがまだだいぶありそうだ。

今回は佐原の町から利根川に沿って利根水郷ラインで銚子の町に向かうと、途中で東庄町(とうのしょうまち)を通る。
小見川町が佐原と合併して香取市になったが、この東庄町は比較的小さいが香取市にも銚子市にも入らずに単独で残った。

私はただ途中の通過地点としかとらえておらず、通り沿いにある「わが町には相撲がある」とか「天保水滸伝」の看板や旗につられて笹川繁蔵の旧跡や諏訪大神などを見物してこの街を知った気になっていた。
しかしどうもこれだけではないようだ。
もう少し調べてみなければならない気がしているのだ。

私は常陸国の旧国府・石岡に住んでいるので、大昔に都からどこを通って常陸や陸奥国に人々は向ったのだろうかという思いが、どこを見学しても脳裏から離れない。

そして本州の太平洋側の黒潮にのって船で九十九里浜あたりに上陸して栗山川をさかのぼり、多古町を通り、そこから鹿島のほうにわたるにはきっとこの東庄町を通ったに違いないと考えるようになった。

常陸国にいてはこんな考え方はできない。
下総国にわたってみて初めてのその考えが浮かんでくる。

東庄(とうのしょう)という名前だけで、昔荘園があったのでこの名前となったのだろうと漠然と考えていたが、東氏(とうし)の存在をどうも小さく見すぎていたようだ。

この東氏が鎌倉幕府設立時に活躍した千葉常胤の六男である胤頼(たねより)がこの地に住んで、この地にある東大社(とうたいしゃ)の宮司を兼ねて東氏(とうし)を名乗ったことからこの地が栄えたようだ。

そしてこの東氏が勢力を拡大し、美濃にも領地を得ていたことは今まで知らなかった。
先日この美濃の郡上八幡との交流会の方からブログにコメントを頂き、初めて気が付いた。

たしかに今までも、須賀山城も見学したし、ふもとの寺も見た。
また東大社も見学したが、郡上八幡との関係には気が付かなかったのだ。

また藤原定家に和歌を学び、美濃東氏にも歌人としても引き継がれ、文武両方で活躍しているという。

これはきっとどこかで読んで目にはしていたと思うが、ただ単に目にしていただけでその関係には思いが至らなかったせいだと思う。
これはもう少し調べたほうがよさそうに思う。

また機会があったら書いてみたいと思うが、今日はもう少し小さな、それも現在は銚子市に組み込まれた「諸持町」という少し高台にある「六所神社」を紹介しておきたい。

諸持町は今や銚子市ながら東庄町にかなり関係が深そうに感じた。

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今回は利根水郷ライン(国道356)を東庄町(笹川)を過ぎて銚子市に入るすぐ手前に成田線「下総橘駅」を少し過ぎたところから右に入平行に走る旧道を通ってみました。

この道を通ったのは、次の下総豊里駅前の食堂(平兵衛屋 ) に立ち寄るためだったのだが・・・・。

するとこの道の途中から右の山のほうに上っていく道の入口に気になる看板が目に入った。
「東大社参道」「みゆき坂」と彫られた石標です。

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何故こんなところに隣町の東大社の参道が?
地図を確認してみるとここは前に紹介した桜井公園の脇にあった利根川に面して建てられた鳥居のところと繋がっているようです。
(前の記事「桜井浜鳥居」記事は ⇒ こちら
この時に書いた「東大社も含め三つの神社の間で20年に1度の銚子大神幸祭が行われており、900年以上続く祭りとされていて、20年に1度は銚子の外川まで巡行する」という記事がつながっているようです。

するとこの道が東大社につががっているのだと思い、少し車で走ってみることにしました。


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道は坂道を上りだいぶ高度を上げていきます。
そして上に出ると広い畑が広がって、その中を道は進みます。
車ですからそれほど急坂には感じませんでしたが、眺めが良いのでかなり高度を稼いだことがわかります。
でもこの先は一般道などとも交わってくるようで、東大社まではまだ結構距離があるようでした。

ということでこのあたりで引き返そうとしたときに、この神社を発見しました。

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神社の隣には「銚子市諸持町農村共同館」という建物が建っています。
街の高台に昔から建つ神社のようですが社務所などはなく常駐する宮司などはいないようです。

六所神社ですから総社的な要素を持つ神社だと思いますが、詳しいことはわかりません。
地元では「六所大神」と書いているようです。

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この近くでは今までに菅原大神(記事:こちら)、諏訪大神(小堀:記事は こちら)などを見てきましたが、すべて利根河沿いの比較的低地に建っているところばかりでした。

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歴史的にどのような流れがあったのかはよくわかりませんが、記事も残す価値があると考えてとりあえずUPしておきましょう。

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小見川・東庄 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/07/08 06:38
コメント
No title
私もすっかり関東の人になったのだなと思いながらこの記事を読みました。「九十九里から栗山川を上り東庄町に出て常陸に渡る」などという表現が、具体的に頭の中で浮かぶようになるほど、あの辺りを走りましたからね。千葉常胤の子供がそのあたりに住んで東氏と名乗ったとか、美濃の方にその子孫が行ったなどというのは、こないだ千葉城を見学したときに知りました。歴史はなかなか面白いですね。
kincyanさん
返事遅くなり失礼しました。

> 私もすっかり関東の人になったのだなと思いながらこの記事を読みました。

kincyanは大阪でしたね。
でもやはりこちらも長くなり自転車で走り回れば関東の風を感じてきたのでしょう。
九十九里浜から栗山川のイメージが同じように感じられていたとはうれしく思いました。

また元気に走れる時がきたらまたレポートしてください。

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