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銚子と河童(1)

 千葉県銚子市というとイワシ、キンメなど海の漁港というイメージが定着している。

しかし、銚子は江戸時代初期に江戸湾に注いでいた暴れ川の利根川をこの銚子湾に注ぐ川に合流させたために、川の上流より大量の土砂が河口に堆積してこの河口に江戸中期ころから港町が形成された。

また霞ヶ浦を経由した江戸との荷物の荷上場や観光などの船着き場としても栄えた。

利根川の先端の町ともいえる。
銚子の利根川沿いの一つ手前の松岸には昭和初期まで華やかな遊郭が存在し、きっと夜やってくる船(蒸気船が就航する前は風が頼りのためによる到着する船が多かった)にもこの明かりがにぎやかに移ったことだと思う。

松岸の通りには花魁道中も毎日のように行われていたとも聞く。
でもこの松岸で扱っていた魚は海のものではなく川のものだったそうだ。ウナギなども捕れたという。

そんな利根川沿いには河童伝説が多く残っていて、この銚子にも河童の伝説がある。

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銚子駅のまっすぐ北側の利根川岸辺には河岸公園という公園が整備されているが、ここには且て蒸気船の停泊場があった。
この河岸公園のすこし東側の漁船が停泊している近くに「母子河童の像」が置かれている。

平成7年にこの河岸(大新河岸)に伝わる河童伝説を町おこしに活用しようと当時の大内市長が中心となって「銚子かっぱ村」を立ち上げこの像を建設したという。

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この母子河童の像は頭のお皿がなくリアルな人間の母子像としても見ることができる。
こうして後ろ側から見ると、港に向かって飛び出そうとする河童の子供の動きが躍動感にあふれている。

この像は水のきれいな処に棲む河童のためにもこの街をきれいな水の町にしたいとの思いが伝わってくる。

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さて、ではこの銚子に残されているという伝説を探してみた。

<かっぱの民話>  (銚子市観光ナビより)


 昔荒野(現・中央町)に大新河岸と呼ばれる船着場があった。ここは、イワシの搾滓(しめかす)やコメなどを高瀬舟に積んで江戸まで運ぶ河岸としてたいそうにぎわった。回船問屋の蔵が棟をつらねて、その中にモリゴンという大きな問屋があった。
ある夜のこと、モリゴンの戸をトントンたたく音がした。番頭が起き出して、戸をあけようとすると「モリゴンさん、きょうお宅に泊まった客人が、わしの子をいじめた。なにも悪いこともしないのに、なんでカラカサなんかでたたいたんだ。そんなことよしてくらっせ」という声がした。
そして、ピタピタとぬかるみを歩くような足音が遠ざかっていった。番頭は、いそいであとを追いかけていったが、姿が見えず、やがて川岸でポチャンという何かが水に飛び込むような音がした。翌朝、泊まった客人に聞いてみると、きのうの昼、河岸で子河童をふざけてかまったことが分かった。やがて、その噂が河岸じゅうに広まった。河岸に働く人たちは、「河童は船を水から守ってくれるという。もういじめるのはよそう」と、戒めあうようになった。それからというもの、水におぼれたり、難破船がでたりすることがぱったりとやんだ。雨降りの晩など、通りをピタピタだれか歩くような音が聞こえると、「大新河童が見回っている」と河岸の人はうわさしあったという。

原話提供者   大内 綾子氏
採集・再話者   永澤 謹吾氏

ただいくら探してもこの話しか出てこない。
いつ頃の話なのかはわからないが、銚子の河童民話はこの話からまったく発展していない。
民話にそれ以降の息が吹き込まれていないのだ。
もったいないと思う。


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河岸公園からまっすぐ伸びる道の先に銚子駅がある。
この通りも含め銚子の広い通りの両側は路上駐車が当たり前とばかり駐車している車が並んでいた。
これが、最近少し変化が出てきた。
この路上駐車をしないように市から通達されているらしい。
通りの飲食店などにも路上駐車遠慮くださいとの張り紙も出されるようになった。


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(続く)

銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/06/23 13:54
コメント
かっぱ
初めまして。銚子には行った事ありませんが、お皿どこかに置いて有るのかな。昔、市川に居ました。
藤の花さま
こんばんは。

コメントうれしく頂戴いたしました。
お皿のない河童はあまり見かけませんね。
よろしければまたお越しください。
ありがとうございました。

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