宵待草のやるせなさ

  銚子市海鹿島に竹久夢二の歌碑がある。

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この海鹿島(あしかじま)は島ではなく、明治頃までアシカもいたらしいが、今はいない。

しかし日本の東端のとっまずれにあって、風光明美な場所として別荘や旅館などもあり多くの文学者たちが訪れた。
そのため、銚子の文学碑めぐりの中心でもある。

海岸沿いに「小川芋銭」の大きな碑が、海岸に突き出した大きな岩に直接刻まれて置かれている。
またその反対側の丘の台地には国木田独歩のこれまた大きな岩に刻まれた碑がある。

また尾崎咢堂(尾崎行雄)の碑も芋銭の碑のところから山側に少し上ったところにある。

さてもう一つ忘れてはならない碑が「竹久夢二の歌碑」である。

海岸沿いの通りから「石井ひもの店」さんの前を上がった通り沿いに草に覆われたようにある。

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  まてど暮らせど来ぬ人を

    宵待ち草のやるせなさ

      今宵は月も出ぬさうな

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竹久夢二が最初に結婚した女性「岸たまき」と結婚したのは夢二が23才の時
翌年男の子を設けるが、親の反対もあり25歳の時に協議離婚した。

しかし、翌年再びたまきと同棲し、大逆事件で幸徳秋水らが逮捕され、夢二も逮捕されてしまう。
2日で釈放されるが、監視されているのを嫌って、たまき、長男を連れて銚子の海鹿島に避暑旅行に出かけた。

この時宿としたのが海鹿島の宮下旅館(民宿)ですが、この宿の隣に成田から来ていた長谷川賢(カタ)が来ていて二人は意気投合して、絵のモデルになってもらったり、この近くの海岸などを一緒に散歩したりしたといいます。

夢二はたまきという女性がいて赤ん坊もつれて来ていたのに別な女性に恋をしてしまったのですね。

一夏の恋はそれで終わり、夢二は東京に、カタは成田に帰ります。

年末には成田で再開したようですが、海鹿島で翌夏に会えると期待していた夢二に聞こえてきたのはカタが別な男性と結婚した便りでした。
カタの父親が心配して結婚を急がせたためだといいます。

そしてこの宵待草の歌のイメージがわいたのです。

最初に書いた原詩は

「遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき

想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな」


です。

かなり違いますね。

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歌碑のある通りは坂道で道幅も狭いです。

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海鹿島の海岸は昔から風光明媚だったのですね。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/05 12:43
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