神栖のささら舞

 先日銚子に行く途中で「神栖市歴史民族資料館」というところに立ち寄った。
神栖は鹿島コンビナートの玄関口で山はほとんどなく平地で大きな池も埋め立てられたりもして道路もどんどん整備されている。
メインの道路も今では片側3車線の真っ直ぐな道が続いている。

人によっては「つまらない道」と映るかもしれない。
私ももう少し細くてくねくねして昔の香りが漂う道の方が好きだが、こちらの道を走る方が時間を節約できるのでどうしても走ってしまう。

その通り沿いに「神栖市歴史民俗資料館」の矢印看板があり、前から気になっていた。
たぶんこういうところは無料だろうから一度は行ってみようと、天気も良くないのを理由に立ち寄ることにした。

そちらは次にでも記事にしたいが、展示物で気になるものがあったので紹介したい。

神栖市の白鳥神社に伝わる「ささら舞」である。

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800年ほど前から伝わるものだそうで、毎年7月末に神社を出発して町内の家々をを回って「ささら」を舞って、五穀豊穣・無病息災を祈願する祭りだそうだ。
(まあ800年というのはどこまで根拠があるかは知らない)

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特徴はここの「ささら」は東北地方などに伝わる「ささら舞」と同じで、人間が獅子を被って舞うものだ。
石岡の祭りで奉納される「富田のささら」は棒ささらである。

獅子に棒をつけてそれを人が操作して舞うもので、獅子の動きなどが独特に演じられ、トリッキーな動きができるのが特徴だ。
もちろん獅子の姿もだいぶ違ったところがある。

また柿岡にも荒宿のささら舞がある。

このようなささらが茨城県も残されているのでどこかでまとめてみたら面白いが。
(まとめたのがあるかもしれないが私は知らない)

調べていたら茨城新聞の記事が出てきた

 ⇒ 「ささら舞」継承で猛練習 神栖・軽野小児童ら」

近くの「軽野小学校」の5年生が毎年練習して伝統芸能を守り継ごうとしているのです。(今年で15回目だそうです)

「軽野」と聞くと思い出す人もいるかもしれませんね。

常陸風土記に記載されている鹿島郡成立のお話です。

「昔、難波の長柄の豊前の大宮に天の下知ろし食しし天皇(孝徳天皇)の御世の、大化五年に、大乙上 中臣の?子、大乙下 中臣部兎子らが、惣領 高向大夫に申し出て、下総の海上の国造の領内である軽野より南の一里(面積のこと)と、那賀の国造の領内である寒田より北の五里とを引き裂いて、この二つを合併し、新たに(香島の)神の郡を置いた。そこに鎮座する天つ大神の社(現、鹿島神宮)と、坂戸の社と、沼尾の社の三つをあはせて、香島の天の大神と称へた。ここから郡の名が付いた。」(口訳・常陸国風土記より)

また「童子女の松原」などにも出てくる話です。

 ○ 童子女の松原

 軽野の南に童子女の松原がある。
むかし、那賀の寒田のいらつこ、海上の安是のいらつめといふ、年若くして神に仕へてゐた少年と少女がゐた。
ともにみめ麗しく、村を越えて聞こえてくる評判に、いつしか二人はひそかな思ひを抱くやうになった。
年月が立ち、歌垣の集ひで二人は偶然出会ふ。

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本当はこのあたりも結構古い歴史があるところなのでしょうね。



神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/29 21:42
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