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穴寺

 国道354号線を鹿行大橋で北浦を渡り、そのまま東に進んで昔の飯沼街道と呼ばれる県道242号線との交差点「大蔵」信号手前に通称「穴寺」と呼ばれる福泉寺という臨済宗の寺がある。

もう1か月ほど前になりますが、立ち寄りました。
前にも紹介していますが、今回はこの寺が旧飯沼街道に近いことが気になり再度訪れてみたのです。

この寺は穴寺というように通り沿いにある寺の門をくぐると道は一気に谷底に下るように急降下します。
車も下まで通れますが、入口に置いて歩いて下りました。

なぜこの寺を取り上げるのかというと、この寺のご本尊「釈迦如来像」が国の重要文化財に指定され、鎌倉時代に作られた清凉寺式仏像の顕著な作品だと知ったからなのです。

まあこの仏像はコンクリート製の保管庫に保管されていて年に1度しか公開されませんので、拝観するにはその4月の公開日を待つしかありません。

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これがその清凉寺式釈迦如来立像です。

鉾田市のHPに載っている説明には
「福泉寺の釈迦如来立像は、鎌倉時代末期に春日仏師が製作したといわれています。槍材の特色を生かして金箔や漆を塗らない素地仕上げになっています。玉眼や眉間の白毫(びゃくごう)には水晶をがはめられ、螺髪(らはつ)と呼ばれる頭髪は、縄状に渦を巻くように刻まれ、像身の半円を描くような平行線の衣紋は実に美しく、異国風を感じさせます。また、如来像を囲むような金色の光背には、左右合わせて十二体の仏が浮彫りされています。毎年4月8日、一般に開帳されます。」

と書かれています。

清凉寺式仏像の特徴は像の下半身の衣の表現方法だと思います。
2本の足がはっきり分かるように真ん中に縦にU字型に彫り込みがされています。
またこの像の光背には12体の小さな仏像が彫られています。


この説明で気になるのは「春日仏師が製作した」と書かれていることです。
春日仏師って何者?

いろいろなうわさがありますが、あまりはっきりしたことがわかりません。藤原氏の建てた奈良の春日大社との関係?
鎌倉時代に運慶や快慶などの奈良興福寺を中心に活躍した慶派仏師などとは別に奈良に仏像製作を請け負う仏師「春日仏師」とよばれる仏師または仏師集団がいたようです。

ではこの等身大の仏像がどうやってこの鉾田(北浦)地方に運ばれてきたのでしょうか?

どうもそこには「忍性(にんしょう)」などの影響がありそうなのです。

つくば市の北条の町に近い「小田城跡」が国の史跡に指定され、公園として整備されました。
公園の中をつくばりんりん道路が走っていますが、そこに小田城の歴史を紹介する展示館がオープンしました。

鎌倉時代に「忍性」がこの小田氏のところにやってきて「極楽寺」という七堂伽藍を持つ大きなお寺が作られました。
現在は宝篋山登山のコース「極楽寺コース」として名前が残っていますが、当時のものとしては大きな五輪塔が一つ残っているだけです。

現在この展示館で忍性が取り上げられて説明がされているようです。(まだ行っていませんが・・・)

この忍性がここを拠点に行方から北浦方面に仏教の普及に努めたようです。
私がこの北浦の地を廻っただけでもかなりの足跡を見ることができました。

忍性の足跡をもう少し探ってどなたか記事にしてもらえるとうれしいなと思います。

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この谷底のような寺は下に恐らく昔は湧き出る泉があったのだと思います。
今も池(泉?)はあります。

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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/11/30 09:48
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