芭蕉の月見の寺へ再び・・・
松尾芭蕉は禅の師として親交のあった仏頂禅師の招きで鹿島詣でを兼ねて中秋の名月に鹿島地方を訪れました。
仏頂禅師は鹿島神宮に近い「根本(こんぽん)寺」の住職をしていましたが、その時は根本寺の住職は弟子に譲って、野に下っていました。
その場所が現在の鉾田市阿玉にある大儀寺(おおぎじ)です。
芭蕉の書いた鹿島紀行には
「根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此寺におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ」
と書かれていてどこだかわからない。
多くの書物が根本寺を芭蕉の訪れた寺として紹介している。
しかし、やはり当時もこの北浦をさかのぼったあたりだったのではないかと思う。

ここは俳句会の建てた句碑(自分たちの句)が竹林の中にずら~と並んでいる。

なかなか趣のある竹林で、このあたりでは珍しい。

あまり訪れる人は少ないようだが趣のある寺だ。

門は南側にあるが、車などで来ると北から入るので、昔の道がわかりずらい。

芭蕉たちは月見の前に雨が降っていてひと眠りしてから月見をしたことになっている。
まあ実際に月見ができたがどうかはわからないが、俳人にとっては月が見えなくてもきっと見た気になるのかもしれない。
月はやし梢は雨を持ながら 桃青
寺にねてまこと顔なる月見かな 桃青

寺の境内には仏頂禅師の供養塔「仏頂塔」がある。
芭蕉が奥の細道の旅の途中に立ち寄ったところに大田原市の「黒羽(くろばね)」がある。
場所は旅の途中の逗留期間としてはこの黒羽が最も長く14日間もいた。
何故こんなに長く逗留したのかというと、この古刹の「雲巌寺」の裏山で、この仏頂禅師が修業中に草庵を作って禅の修行をしたといわれており、深川に禅の心を教えてくれた仏頂禅師の修行場所にとどまって居たくなったのかもしれないのだ。
木啄(きつつき)も 庵(いお)は破らず 夏木立
上の句は仏頂禅師の山居跡を訪ねた時に詠んだ句です。雲巌寺の境内に石碑があります。
(きつつきも和尚の徳に敬意を払って草庵も壊さずにいるな~ という程度の意味か?)
雲巌寺も数年前に行きましたが、素晴らしい寺です。
お近くに行ったら是非立ち寄っていただきたいものです。
雲巌寺に記事 ⇒ 記事(1)、記事(2)
仏頂禅師は鹿島神宮に近い「根本(こんぽん)寺」の住職をしていましたが、その時は根本寺の住職は弟子に譲って、野に下っていました。
その場所が現在の鉾田市阿玉にある大儀寺(おおぎじ)です。
芭蕉の書いた鹿島紀行には
「根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此寺におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ」
と書かれていてどこだかわからない。
多くの書物が根本寺を芭蕉の訪れた寺として紹介している。
しかし、やはり当時もこの北浦をさかのぼったあたりだったのではないかと思う。

ここは俳句会の建てた句碑(自分たちの句)が竹林の中にずら~と並んでいる。

なかなか趣のある竹林で、このあたりでは珍しい。

あまり訪れる人は少ないようだが趣のある寺だ。

門は南側にあるが、車などで来ると北から入るので、昔の道がわかりずらい。

芭蕉たちは月見の前に雨が降っていてひと眠りしてから月見をしたことになっている。
まあ実際に月見ができたがどうかはわからないが、俳人にとっては月が見えなくてもきっと見た気になるのかもしれない。
月はやし梢は雨を持ながら 桃青
寺にねてまこと顔なる月見かな 桃青

寺の境内には仏頂禅師の供養塔「仏頂塔」がある。
芭蕉が奥の細道の旅の途中に立ち寄ったところに大田原市の「黒羽(くろばね)」がある。
場所は旅の途中の逗留期間としてはこの黒羽が最も長く14日間もいた。
何故こんなに長く逗留したのかというと、この古刹の「雲巌寺」の裏山で、この仏頂禅師が修業中に草庵を作って禅の修行をしたといわれており、深川に禅の心を教えてくれた仏頂禅師の修行場所にとどまって居たくなったのかもしれないのだ。
木啄(きつつき)も 庵(いお)は破らず 夏木立
上の句は仏頂禅師の山居跡を訪ねた時に詠んだ句です。雲巌寺の境内に石碑があります。
(きつつきも和尚の徳に敬意を払って草庵も壊さずにいるな~ という程度の意味か?)
雲巌寺も数年前に行きましたが、素晴らしい寺です。
お近くに行ったら是非立ち寄っていただきたいものです。
雲巌寺に記事 ⇒ 記事(1)、記事(2)
芭蕉が来たころは草庵程度だったのかもしれませんね。
大分北の方ですが良ければ行ってみてください。
清澄白河の橋のたもとにある 芭蕉の旅にでる所の姿の銅像とか、芭蕉の足跡をみています。こちらでもこんなに皆さんが行かれているのですね。
> 会社が永代橋のそばにある関係で、深川は自転車で昼休みとかによく行ってます。
芭蕉庵のあった場所でしょうか?
鹿島紀行では小名木川を行徳まで出て陸路を布佐へ、そこから利根川を下りましたが、奥の細道では千住まで隅田川をさかのぼったみたいですね。門弟たちが千住まで送っていったというのも何か面白いですね。