鹿行大橋
先日銚子に行くときに、久しぶりに北浦の鹿行大橋を廻っていった。
玉造から国道354号線(北浦バイパス)を通り、北浦に架かる橋が鹿行大橋(ろっこうおおはし)という。
この名前は鹿島(かしま)と行方(なめがた)地方をつなぐ橋で、茨城県の地域区割りも「鹿行地区」となっている。

これが今の鹿行大橋だ。

北浦は霞ケ浦の一部と言ってもいいだろう。鉾田から潮来の間をつなぎ、昔は水運も発達していて、水戸方面から江戸まで物資を運んだし、蒸気船もはしった。
霞ケ浦との接点は鰐川(わにかわ)から外浪逆浦(そとなさかうら)などという流れが逆流する意味合いの名がついた浦でつながっている。
しかしこのあたりは流れがあるようにはあまり感じない。
霞ケ浦も昔はそれぞれの地域で「○○の流れ海」などと呼ばれた。

今は堤防も整備されている。

さて、この鹿行大橋は、東日本大震災で橋の真ん中が倒壊して、車が下に落ち一人が亡くなった。
当時全国的にはあまり話題にならなかったが、死者がでたのだから忘れられない事件だった。
橋の崩落した写真が上の写真。 この時現在の新しい橋を建設中で、崩落したのは旧橋の方だ。
写真の右側が橋の真ん中部分が下に落ちてしまったもの。
左側が新しく建設中だった橋で、この後完成を急ぎ現在の橋となっている。

当時の新聞記事に載った崩落部分の橋と水中を捜索している様子。

行方側(旧北浦町)の橋のたもとにあった「北浦荘」は現在も営業している。

このあたりでは珍しい源泉かけ流し温泉施設のある日帰り温泉施設。
朝は10時からだが私がこのあたりを走るのは9時半頃なのでまだやっていない。
時間があれば400円で利用できるだが、のんびりもしていられないので利用したことはない。
それにしても茨城でも、鹿島神宮は大鳥居が倒れたし、この橋の落下があり、北浦の六角堂が流されたなどの津波被害もあちこちにあった。
あれから7年だが、あれだけの大きな地震だったから10年は余震や火山の噴火などもまだおこる。
今のオリンピックでの活躍もうれしいが、2年後のオリンピックの時に何か起こらねばよいが・・・。
玉造から国道354号線(北浦バイパス)を通り、北浦に架かる橋が鹿行大橋(ろっこうおおはし)という。
この名前は鹿島(かしま)と行方(なめがた)地方をつなぐ橋で、茨城県の地域区割りも「鹿行地区」となっている。

これが今の鹿行大橋だ。

北浦は霞ケ浦の一部と言ってもいいだろう。鉾田から潮来の間をつなぎ、昔は水運も発達していて、水戸方面から江戸まで物資を運んだし、蒸気船もはしった。
霞ケ浦との接点は鰐川(わにかわ)から外浪逆浦(そとなさかうら)などという流れが逆流する意味合いの名がついた浦でつながっている。
しかしこのあたりは流れがあるようにはあまり感じない。
霞ケ浦も昔はそれぞれの地域で「○○の流れ海」などと呼ばれた。

今は堤防も整備されている。

さて、この鹿行大橋は、東日本大震災で橋の真ん中が倒壊して、車が下に落ち一人が亡くなった。
当時全国的にはあまり話題にならなかったが、死者がでたのだから忘れられない事件だった。
橋の崩落した写真が上の写真。 この時現在の新しい橋を建設中で、崩落したのは旧橋の方だ。
写真の右側が橋の真ん中部分が下に落ちてしまったもの。
左側が新しく建設中だった橋で、この後完成を急ぎ現在の橋となっている。

当時の新聞記事に載った崩落部分の橋と水中を捜索している様子。

行方側(旧北浦町)の橋のたもとにあった「北浦荘」は現在も営業している。

このあたりでは珍しい源泉かけ流し温泉施設のある日帰り温泉施設。
朝は10時からだが私がこのあたりを走るのは9時半頃なのでまだやっていない。
時間があれば400円で利用できるだが、のんびりもしていられないので利用したことはない。
それにしても茨城でも、鹿島神宮は大鳥居が倒れたし、この橋の落下があり、北浦の六角堂が流されたなどの津波被害もあちこちにあった。
あれから7年だが、あれだけの大きな地震だったから10年は余震や火山の噴火などもまだおこる。
今のオリンピックでの活躍もうれしいが、2年後のオリンピックの時に何か起こらねばよいが・・・。
特に面白いところもあまりありませんから・・・。
この橋はかなり立派ですので今度は大丈夫でしょう。
震災時の話は各地被害がありましたのであまり知られていないです。
もっともこちらも千葉県側などのニュース(飯岡の津波など)は比較的知られていません。
40年ほど前に石岡を離れましたが今また帰ろうかと検索していてこちらを見つけ、懐かしく読んでいます。
またお邪魔します。
記事は残りますので訂正しました。
こちら(茨城)に来て何度もロッコウ地区などと口にも出していたのに、最初に勝手に読んだ「カギョウ」が
身についてしまっています。お恥ずかしいですね。