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稲むらの火

昨日「ふるさと風の会」の集まりがあるので参加しませんかと、脚本家の白井さんよりメールをいただき、参加させていただきました。
この会は、この石岡からふる里に残る話などを掘り起こして、文化の灯を燈したいと願って集まった方の会であるが、この時は、今回の地震などの話題を中心にしたおしゃべり会であった。

その中で「稲むら長者」というお話を知っていますか?ということをある会員の方がおっしゃていた。
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 昔ある海に面した村で、庄屋さんの屋敷が高台にあった。
村人は毎年年貢の稲束を庄屋さんに届けていて、その時も庄屋さんの家の周りには稲を干すために積まれた稲の束がたくさんあった。
そこに大きな地震があり、特に地震では何も被害がなかった。村人はお祭りがあるので準備で忙しく騒々しかった。
庄屋さんは、高台で海を見ていたら大きく潮が引いて行くのが見えた。
これは津波が襲ってくると感じ、急いで村人に知らせようと大声を出したが村人にはその声は聞こえなかった。
そこでとっさにその長者は家の周りに干していた稲の束に火をつけて回った。
それを麓の村人が見て、「庄屋さんの家が火事だ。大変だ。」と皆で消化するために高台に駆け付けた。
その時大津波が襲ってきて、高台にいた村人は難を逃れることができた。
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このような話であるが、この話はどこかで読んだことがあると思ったが、その時には気がつかなかった。
私が「なぜ石岡の醤油産業は廃れたのか」と題して昨年数回にわたりこのブログに書いたことがあった。
この時に銚子の「ヤマサ醤油」の歴史を調べている時に出ていた実話がもとになっていることを思い出したのである。
実話は安政南海大地震(1854年)の紀伊半島の広村(現和歌山県広川町)で起こった出来事です。
この実在の主人公の名は「濱口儀兵衛(梧陵)」で、これを小泉八雲が明治三陸沖地震がおきた後にこの話を英文で小説にしたのです。
それを日本文に翻訳されて「稲むらの火」との題名で昔の教科書に載ったのです。
主人公の名前は「五兵衛」となっています。

この安政の大地震はM8.4で死者1000~3000人という巨大地震であったのですが、今回はM9.0というので、これよりもはるかに大きなものだったことがわかります。
この話が国定教科書の尋常小学校5年の国語に載ったのは、津波という恐ろしさを知らすことではなく、美談として道徳的な観点から採用されたようです。
またこれが今年の教科書に再登場することになっていたというのも何か運命的なものがありますね。

さて、お話の主人公は年配の村長ですが、実在の濱口儀兵衛は30代の実業家でした。
この濱口儀兵衛(梧陵)が偉いのは、この逸話の内容もさることながら、その後、私財(4665両)を投じて防潮堤を築造させ、村人に仕事を与え、賃金を払うことで村人の生活を支えたことにあるのです。
しかもこの防潮堤(長さ600mx高さ5mと陸側に植樹の並木を造る、4年かかった)のおかげで、この村では、その後に起こった東南海地震(M8.0、昭和19年)では被害がほとんどなかったのです。

この濱口家は和歌山で醤油造りを行なっていました。儀兵衛はヤマサ醤油の屋号で、初代濱口儀兵衛の名前を継いでいました。この話の濱口梧陵は7代目の社長です。
銚子のヤマサ醤油は紀州出身の初代濱口儀兵衛が銚子に渡り、醤油造りを教え、和歌山と銚子をいったりきたりしていたようです。

今回の地震ではこの想定を上回る大きさの津波に襲われました。この教訓も役には立たなかったかもしれません。しかし、災害後に村民に復興という仕事を与え、離村を防いだということも忘れてはならないと思います。
 


地震・津波全般 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/03/27 18:36
コメント
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Re: お礼
昇会さま
石岡の出身の方が全国で見ていただいていたことに驚くと同時に感謝をいたします。
これからもよろしくお願いします。良きふる里をもったと自慢できるようなふる里にしたいですね。

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