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一寸法師

 さて、神話がらみで「少彦名」(スクナヒコナ)とコロボックルの話が結びつかないかを考えていた。

でも小人といえば「一寸法師」がいると・・・・

スクナヒコナは大地の神「大国主」が大男のイメージなのに対し、スク(少)=小さい ヒコ(彦)=男をそのまま名前ににしたものだが、穀物の神(五穀豊穣)などとも言われます。

スクナヒコナのイメージが室町時代頃になって、一寸法師の話に生まれて変わったということも考えられるので、この一寸法師についても少しだけ調べてみました。

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昔子供に読んであげた童話の一寸法師の話は、

「私は、都にいって、立派な人になりたいと思います。・・・・・・・・・・・・」

とおばあさんに言って、針をもらい、それを身に着けて刀にし、お椀の舟に乗って、箸を櫂(かいにして漕ぎながら川を下って都に行きますね。

この「都にいって、立派な人になりたいと思います。」のセリフは、当時幼かった私の娘が絵本を読んで、よく口にしていました。
(まあこの娘も 今では立派な2児の母親です)

さて、この一寸法師の話は「御伽草子(おとぎぞうし)」に出てくる話で、昔からあまり変わっていないのかと思っていいました。
しかし、御伽草子の原文を調べてみると、結構違いがあります。

原文は下の方にのせておきますが、大きな違いは

おじいさんおばあさんに子供がいないため、住吉神社にお参りして子供を授かるところまでは同じですが、

いつまでも大きくならない一寸法師におじいさん・おばあさんは

「これは化け物だ。なんでこんな化け物を住吉さんからたまわってしまったのだろうか?
ああ、不憫で情けない。いっそこの子をどこぞにやってしまおうか?」

などと考えているのです。

そしてそれを察した一寸法師は、家にいることができず、自ら都に行くことをおばあさんに告げて、針、お椀・お箸 をもらって、住み慣れた難波(住吉の港)から京へ舟でいくのです。

さてさて、最も大きな違いがあるのが、京に上った一寸法師が、三条の宰相殿のところでお世話になっているときに、この家の十三になる娘に恋をしてしまいます。
そこで、悪巧みともいえる一計を案じるのです。

眠っている姫の口元に、自分が大事にしているお米(神様に供える)の数つぶをそっと塗っておきました。
そして、私の大事なお米を姫が食べたと宰相に訴え出るのです。  ⇒ 「 一寸法師って結構ずるがしこいですよね! 」

これで家を追い出されることになった姫に一寸法師はついて二人旅が始まります。

舟に乗ってやってきたのが見知らぬ島。ここで鬼が出てきて一寸法師を口に入れると、目から出てくるのです。
今読まれている話では、おなかの中を針でつつくのですが、こちらは口から入ると目から出てくるのを繰り返します。

そしてこれにまいった鬼が打ち出の小づちを置いて逃げます。

一寸法師はこの打ち出の小づちに3つのお願いをします。

1) 大きくな~れ。・・・一寸法師は立派な若者になります。

2) (おなかがすいていたので)飯よ出でよ。・・・ 美味しそうな料理がでてきます。

3) 黄金・銀 をたくさん出します。 ・・・金持ちになります。

  ⇒ ちょっと欲が深そうにも思いますね。 
花咲爺さんや、こぶとり爺さん、また舌切り雀などはみな正直者で欲がない爺さんばあさんが主人公ですね。

時代で結構話は変わりそうですね。

室町時代頃には、正義や、親孝行、親への道徳心などはあまりなかったのでしょうか?

(御伽草子の原文)

中ごろのことなるに、津の国難波の里に、おほぢとうばと侍り。うば四十に及ぶまで、子のなきことを悲しみ、住吉に参り、なき子を祈り申すに、大明神あはれと思し召して、四十一と申すに、ただならずなりぬれば、おほぢ喜び限りなし。やがて十月と申すに、いつくしき男子をまうけけり。

さりながら、生まれおちてより後、せい一寸ありぬれば、やがてその名を、一寸法師とぞなづけられたり。年月をふる程に、はや十二、三になるまで育てぬれどもせいも人ならず。つくづくと思ひけるは、ただ者にてはあらざれ、ただ化物風情にてこそ候へ。われらいかなる罪の報いにて、かやうの者をば住吉より賜りたるぞや、あさましさよ、と、みるめもふびんなり。夫婦思ひけるやうは、あの一寸法師めを、何方へもやらばやと思ひけると申せば、やがて一寸法師このよし承り、親にもかやうに思はるるも、口惜しき次第かな、何方へも行かばやと思ひ、刀なくてはいかが、と思ひ、針を一つ請ひ給へば、取り出したびにける。すなはち麦わらにて柄鞘をこしらへ、都へ上らばやと思ひしが、自然舟なくてはいかがあるべきとて、またうばに、「御器と箸とたべ」と申しうけ、名残惜しくとむれども、立ち出でにけり。住吉の浦より御器を舟としてうち乗りて、都へぞ上りける。

住みなれし難波の浦を立ち出でて都へ急ぐわが心かな

かくて鳥羽の津にも着きしかば、そこもとに乗り捨てて都に上り、ここやかしこと見るほどに、四条五条のありさま、心も言葉にも及ばれず。
さて三条の宰相殿と申す人のもとに立ち寄りて、「物申さん」と言ひければ、宰相殿はきこしめし、おもしろき声と聞き、縁の端へ立ち出でて、御覧ずれども人もなし。
一寸法師、かくて人にも踏み殺されんとて、有りつる足駄の下にて、「物申さん」と申せば、宰相殿、不思議のことかな、人は見えずして、おもしろき声にて呼ばはる、出でて見ばやとおぼしめし、そこなる足駄履かんと召されければ、足駄の下より、「人な踏ませ給ひそ」と申す。不思議に思ひて見れば、逸興なるものにてありけり。
相殿御覧じて、げにもおもしろき者なりとて、御笑ひなされけり。
 かくて年月送るほどに、一寸法師十六になり、背はもとのままなり。さるほどに、宰相殿に十三にならせ給ふ姫君御かたちすぐれ候へば、一寸法師、姫君を見奉りしより思ひとなり、いかにもして案をめぐらし、我が女房にせばやと思ひ、ある時、みつものの取り、茶袋に入れ、姫君の臥しておはしけるに謀事をめぐらし、姫君の御口にぬり、さて茶袋ばかリ持ちて泣きゐたり。
宰相殿御覧じて御尋ねありければ、「姫君の、わらはがこのほど取り集めて置き候ふ打撒を、取らせ給ひ御参り候ふ」と申せば、宰相殿大きに怒らせ給ひければ、案のごとく姫君の御口に付きてあり。
「まことに偽りならず。かかる者を都に置きて何かせん。いかにも失ふべし」とて、一寸法師に仰せつけらるる。一寸法師申しけるは、「わらはが物を取らせ給ひて候ふほどに、とにかくにもはからひ候へとありける」とて、心のうちにうれしく思ふこと限りなし。姫君はただ夢の心地して、あきれはててぞおはしける。
 一寸法師、「とくとく」とすすめ申せば、闇へ遠く行くにて、都を出でて足にまかせて歩み給ふ。御心のうち推しはからひてこそ候へ。あらいたはしや、一寸法師は姫君を先に立ててぞ出でにけり、宰相殿は、あはれ、この事をとどめ給ひかし、とおぼしけれども、継母のことなればさしてとどめ給はず。女房たちも付き添ひ給はず。
姫君、あさましきことにおぼしかして、「かくていづ方へも行くべきならねど、難波の浦へ行かばや」とて、鳥羽の津より船に乗り給ふ。折節、風荒くして、きやうがる島へぞ着けにける。船よりあがり見れば、人住むとも見えざりけり。
かやうに風悪く吹きて、かの島へぞ吹き上げける、とやせんかくやせんと思ひわづらひけれども、かひもなく、船よりあがり、一寸法師はここかしこと見めぐれば、いづくともなく鬼二人来たりて、一人はの小槌を持ち、いま一人が申すやうは、「呑みて、あの女房取り候はん」と申す。口より呑み候へば、目のうちより出でにけり。
鬼申すやうは、「これはくせ者かな。口をふさげば目より出づる」。一寸法師は鬼に呑まれては、目より出でてとび歩きければ、鬼もおぢをののきて、「これはただ者ならず。ただ地獄に乱こそ出で来たれ。ただ逃げよ」といふままに、打出の小槌、杖、しもつ、何に至るまでうち捨てて、極楽浄土のの、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり。
さて一寸法師はこれを見て、まづ打出の小槌を濫妨し、「我々が背を、大きになれ」とぞ、どうど打ち候へば、ほどなく背大きになり、さてこのほど疲れにのぞみたることなれば、まづまづ飯を打ち出だし、いかにもうまさうなる飯、いづくともなく出でにけり。不思議なる仕合せとなりにけり。
 その後、黄金、銀打ち出だし、姫君ともに都へ上り、五条あたりに宿をとり、十日ばかりありけるが、このこと隠れなければ、にきこしめされて、いそぎ一寸法師をぞ召されけり。すなはちつかまつり、大王御覧じて、「まことにいつくしき童にて侍る。いかさまこれはいやしからず」、先祖を尋ね給ふ。おほぢは、堀河の中納言と申す人の子なり。人の讒言により流され人となり給ふ。田舎にてまうけし子なり。うばは、伏見の少将と申す人の子なり。幼き時より父母に給ひ、かやうに心もいやしからざれば、殿上へ召され、堀河の少将になし給ふこそめでたけれ。
父母をも呼び参らせ、もてなしかしづき給ふこと、世の常にてはなかりけり。
 さるほどに少将殿、中納言になり給ふ。心かたち、始めより、よろづ人にすぐれ給へば、御一門のおぼえ、いみじくおぼしける。宰相殿きこしめし、喜び給ひける。その後、若君三人出で来けり。めでたく栄え給ひけり。
 住吉の御誓ひに、末繁昌に栄え給ふ、世のめでたきためし、これに過ぎたることはよもあらじとぞ申し侍りける。


神話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/05/29 07:53
コメント
No title
これは面白い「一寸法師」ですね。
童話・昔話など、原作・原文は結構恐ろしいものがありますね。グリム童話とかも・・・
「まほらにふく風に乗って」は面白い・ためになるで気に入ってます。
ねこねこ3様
 気に入っていただいたようで恐縮です。

是非これからもよろしお願いいたします。

昨日も銚子に出かけておりました。
途中潮来のあやめ祭りを見物していきましたよ。
毎回、どこかに立ち寄っていたので、次に行く場所が見つかりません(笑)
気分的に落ち着いたらまた精力的に記事も書きたいと思っています。

地元の民話などを集めて本に編集したりもしています。
またお便りいただけると嬉しいです。

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