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安政の地震

3月28日 2回目の投稿です。
昨日「稲むらの火」というお話を紹介したのですが、どうも私の理解がまったく不足していたことに気がつきました。
今まで江戸後期の安政の大地震は江戸中が大騒ぎになった地震で、NHKの篤姫にも出てきました。
この地震は安政の大地震と呼ばれ安政二年の出来事だったのですが、「稲村の火」というのはその前年に起った巨大地震と津波だったのです。
調べてみると安政の年代には大変なことが次から次に起っています。少し整理してみましょう。

1)1854年12月23日(安政元年11月4日):安政東海地震(M8.4)
2)1854年12月24日(安政元年11月5日):安政南海地震(M8.4)・・・東海地震の32時間後
3)1855年11月11日(安政二年10月2日):安政の大地震(江戸地震)(M6.9)

2)は1)の32時間後でこの二つを合わせて安政の東南海地震と言っています。
今回の東北関東地震も2度きました。ただその間隔が30分くらいだったように思います。
3)は江戸中が大騒ぎになった直下型の地震でした。前の年に大地震があったので、世の中がひっくり返るように思えたのではないでしょうか。

江戸の町では死者4600人、倒壊家屋が約1万戸といわれ、江戸の水戸藩邸が倒壊して、藤田東湖がこの地震で死亡しています。
藤田東湖は水戸学を水戸藩主徳川斉昭の腹心として活躍しました。この地震でのエピソードは「一度は脱出したが、火鉢の火を心配した母親が再び邸内に戻ったため、東湖も後を追い、落下してきた鴨居から母親を守る為に自らの肩で受け止め、母を助けたですが、自身は下敷きとなって死亡した」という。
東湖の父は幽谷。子には天狗党で筑波山にて挙兵した藤田小四朗(四男)がいる。

歴史的に調べるとこの時代は他にも大変なことが起っているのである。
まず、安政の年号は東南海地震の後(11月27日)につけられた。
世を安定させようとしてつけた名前だと思われるが、実際は全く逆で、
1)安政元年11月4日 M8.4 震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震』
2)安政元年11月5日 M8.4 震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』
3)安政元年11月7日 M7.4 震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)
わずか4日の間に巨大地震が3つも続けて起こっていたのです。
この地震の死者は1万人以上と言われています。
また5日目には近畿地方で地震があり、7日目には四国で大きな地震が続きました。
その当時の人々はどのような思いだったのでしょうか。

政治的にも重大事件が次々と起こります。
・東南地震の前年6月:黒船ペリーが浦賀に来航
・安政の大獄始まる(安政三年9月7日)
・桜田門外の変(安政七年3月3日)
その他各地で火災も発生し、世の中が相当混乱したと思われます。

それにしても東海地震が必ず近いうちにあるといわれており、不安です。
 

地震・津波全般 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/03/28 20:13
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