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白鳥山普門寺

 先日小林一茶の七番日記に書かれていた内容を紹介しましたが、小川の本田医師のところに泊まって、馬で「化蘇沼稲荷神社」に送ってもらって、北浦湖畔で1泊し、北浦を渡って対岸にある札の普門寺に立ち寄ったと書いてあった。

その後鹿島神宮詣でをして潮来から銚子へ行っている。

このあたりを散策はしているが、この普門寺は全くノーマークだった。
いったいどんなところなのだろう。江戸時代はどんな風であったのだろう。
まったく情報がない。 では、行って見るしかないだろうと、先日銚子へ行く途中で寄り道をした。

霞ケ浦北岸の国道355線を玉造から国道354号線へ。
そのまま進むと鹿行大橋(ろっこうおおはし)で、北浦を渡る。

橋を渡ったところが鉾田市札(旧大洋村)という場所だ。
俳人芭蕉の禅の師とも言われる仏頂禅師はこの札村で江戸初期の1642年2月18日に生まれている。

あの雲厳寺(大田原市)の山の草庵で禅の修行をしたといわれる仏頂禅師がこのようなところで生まれているのだ。
一茶がこの地を訪れたのは1817年5月であるので、芭蕉が鹿島紀行で書いた仏頂禅師との月見(1687年)の時より130年も後だ。

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場所は湖畔よりの通りから少しだけ東に入った旧道にある「札公民館」に車を停めた。
こも裏山一帯が普門寺が領していた場所だったようだ。

のぼるには「太陽郵便局」の隣から上にのぼる道があった。

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坂を登った先に立派な観音堂(白鳥観音堂)があった。

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建てなおしたものらしく地元の寄付者の名前が掲げられていた。

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内部は中央に黒い厨子が置かれていて、恐らく中に観音像がまつられていると思うのだが、どのようなものか情報がない。
鉾田市の指定文化財に札地区では「木造十一面観音像」があるので、きっとこれかもしれない。
ただ現地には何も書かれたものは置かれていなかった。

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お堂の脇にはこのような石像(墓か?)が・・・・

また片隅の一段高い山には稲荷神社があった。

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この観音堂の裏手に一般の住宅のような家があるが、こちらがお寺の建物になっているようだ。
またその横には畑も広がっており、野菜などが作られていた。

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またその横から立派な竹林の中をさらに先に進む道があったが、その先には墓地が広がるだけだった。
ただこの一帯は中世には札城があったようだ。

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振り返ってみると観音堂と左が住居のようなお寺の建物。

ここは札村の裏山で、下に「安福寺」という建物とその先に神社があるのが地図で分かった。
そちらにも行ってみることにした。

恐らく江戸初期頃はすべてこの(白鳥山)普門寺の領域だったに違いない。

またこの地は常陸国風土記に出てくる「白鳥の里」と呼ばれる候補地の一つだ。

こちらについては、前に書いた「大光寺照明院」(こちら)の記事を参照ください。


鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/29 00:04
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