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茨城の難読地名(その4)-古渡

難読地名2
 
シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

古渡 【ふっと】 稲敷市

古渡は名古屋市にある地名のように、一般には「ふるわたり」「こわたり」「こと」などと読まれ、古に外国から渡ってきた物などを指す言葉のようですが、ここでは「ふっと」と読みます。
稲敷市の小野川が霞ケ浦にそそぐ出口の場所につけられた地名です。

国道125号線で戸崎から浮島に渡るときに通る橋が「古渡橋(ふっとばし)」で橋の手前の旧江戸崎町側が「信太古渡(しだふっと)」、渡った先の旧桜川村側が「古渡(ふっと)」または「東条古渡(とうじょうふっと)」といいます。


1、「角川日本地名辞典(茨城県)」によれば、旧江戸崎町の古渡(ふっと)の説明として、古戸とも書き、小野川が江戸崎付近で広がり、狭水道となり当地に入る地形から女性?の古語であるホト(保戸・保渡)に由来するという説があると紹介されています。

ちょっとこれでは今の時代に一般への説明に窮しますね。

なお、古渡村という地名は南北朝~室町期に見える村名で、応安年間(1368~1374年)頃と推定される海夫注文に「ふつとの津(古渡津、福戸津)」と見えるとあります。

また、旧桜川村の古渡の説明には、新編常陸国誌には「東条古渡」ともいう。南北朝には神宮寺城に拠って北畠親房を助けた近在の名主13名が処刑された(地元に十三塚の名前の謂われとして残されている)が、不在で難を逃れた阿波崎村の名主六左衛門は帰宅後敵将を追い、小野川畔に自ら進んで殺されたと伝える。これを弔ったのが著名なホイホイ地蔵。と書かれている。

確かにこの東側の阿波(あば)手前にある「神宮寺」信号近くには、南北朝時代に北畠親房が上陸して一時いた城跡などもあり、当時から古渡(ふっと)と呼ばれていたことは間違いないが、それ以前の地名の由来は明確ではありません。

2、「古渡」(ふっと)のアイヌ語説: アイヌ語で「プット(putu)」に由来し、(川の)出口を指す言葉ではないかという説。

地形をみてみると、小野川が霞ヶ浦に注いでいる場所です。流れの出口となっています。
現在も、古渡の入り江は水路のように長く、景観がとても美しい場所で、霞ケ浦湖岸でも一二を争うくらい美しい場所です。
茨城百景の中で「古渡の湖畔」が選ばれています。

3、昔、大和朝廷から派遣された武将たち(建借間命?)が、この地から潮来の方に渡り、賊(原住民)を殺したと伝わっており、それと同じく、この地でもこの地に住んでいた賊(原住民)たちの首を「フットフット」と刎ねたという言い伝えから名前が付けられたとする説。

この話は常陸国風土記に記載されている「潮来の名前の由来」にもある話に似ています。

(関連地名)
・阿波 【あば】
・潮来 【いたこ】

茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/30 13:44
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