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茨城の難読地名(その5)-鷲子

難読地名2
 
シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

鷲子 【とりのこ】 常陸大宮市

茨城県の北西部、栃木県との県境に近い旧美和村の「道の駅みわ」に近いところに鷲子(とりのこ)という信号があります。
また近くには茨城県と栃木県にまたがるところに最近は「ふくろう神社」として知られる「鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)」という古い神社があります。

この2つの県にまたがるという県境なのですが、栃木県側の旧馬頭町(現那珂川町)とは、江戸時代は同じ水戸藩の領地でした。
このため、江戸時代までは県境というような意識はなかったのです。

また、この鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)ですが、807年に馬頭の僧で「大蔵坊宝珠上人」が四国の阿波国より製紙技術を得て、阿波忌部氏の祖神である「天日鷲命(あめのひめわしのみこと)」を祀った「鷲権現」という社を作ったことに始まるとされています。年代的には多くの神社が建てられた大同年間のことであり、どこまでが正確かはわかりません。

日本の神話を御存じの方はこの「天日鷲命(あめのひめわしのみこと)」がどういう神様かを御存じだと思いますが、天照大神が天岩戸(あまのいわと)の中に隠れてしまって、この世が真っ暗になった時に、岩戸の前で楽器を演奏していたその弦に鷲(わし)が飛んできてとまったという。そのためこの神は「天日鷲命」と呼ばれるようになりました。

それが四国の阿波国を作ったとされる阿波忌部(いんべ)氏になります。

その阿波忌部氏が黒潮に乗って舟で北上して千葉県に上陸し、安房国が誕生し、また総の国ができました。

そしてそこから北上し、この「天日鷲命(あめのひめわしのみこと)」を祭る神社が東国にたくさんできます。
そしてその神社の多くが、「鷲神社」「大鷲神社」などと書いて「とりじんじゃ」「おおとりじんじゃ」などと呼ばれています。

ですから鷲(わし)を「とり」と読むのはあまり不思議ではありません。

地名としての「鷲子(とりのこ)」については、「角川日本地名辞典(茨城)」によると、古くは鳥子と書き、元禄16年鷲子と改められた(水府志料) となっており、元禄郷帳では「鳥子村」とあり、天保郷帳では、古くは鳥子村とあるといいます。

県境の山「鷲子山(とりのこやま)」についても、奈良時代初期に書かれた「常陸国風土記」の那賀郡の条に「西は新治の郡と下野の国との境なる大き山」とあり、当時はまだ名前がなかったと思われる(新編常陸国誌) とあります。

この地にある「道の駅みわ」の入り口に地元名産のキノコのオブジェと共に大きな石碑が置かれています。
そこには「「はとうからすやまとりのこみち」と書かれています。

江戸時代にこのあたりは結構辺鄙なところで、道案内に上の様にひらがなで書かれていたのを、旅人は
「鳩、カラス、山鳥の小路」と読んで、この道は人間が通るところではないと引き返したのだという笑い話があるそうです。

元々は、「馬頭・烏山・鷲子 道」を意味していたのです。

またこの鷲子(とりのこ)地方は和紙の生産が盛んでした。

この鷲子(トリノコ)から美和を経由して常陸大宮を通って常陸太田へ出る国道293号線は江戸時代には「紙街道」とも呼ばれた道でした。

それは、この鷲子地方から小瀬地方が良質の紙(和紙)の生産地として非常に栄えていたのです。
和紙はまた久慈川をさかのぼった方でも盛んに紙漉き場があったようです。

ところで、トリノコ紙(かみ)って聞いたことがありますか?
調べてみるととても面白いですね。

鳥の子紙は雁皮(ガンピ)、コウズ、三椏(ミツマタ)などを原料にして作られた高質な和紙の呼び名で名前の由来としては、

文安元年(1444年)成立の『下学集』では、「紙の色 鳥の卵の如し 故に鳥の子というなり」と説明しされており、また『撮壌集』には、「卵紙」と表記している。 と書かれています。

一方トリノコ用紙と引くと「模造紙」のことで、愛媛県や香川県などで主にそう呼ばれているそうです。
またその他の地方でも模造紙といわずに、サイズから「B紙」、材料から「ガンピ」などと呼んでいる所もあるそうです。

ではこの模造紙ですが、これは和紙ではなく洋紙で、日本の「トリノコ和紙」を模造して造ったので模造紙といわれているそうです。

紙の歴史をたどると、エジプトで発明されたパピルスがもっとも古いとされていますが、現在のように植物繊維を水に溶いて漉く方式の紙は中国で約2000年前に発明されたものです。
日本に入ってきたのは西暦610年頃に高句麗の僧、曇徴によって製紙法が伝達され広まったと伝えられています。

今から1400年くらい前です。

鷲子山上神社の創建が9世紀初めのころとすると、1400年前に伝わった紙漉き(かみすき)の技術が、四国阿波地方で広がり、それが1200年ほど前にこの地に伝わったということになります。

そして、この地で製紙産業が盛んになり、紙を水戸や江戸に運ぶ道として現国道293号線は栄えたのです。

この鷲子の和紙は質が良く、明治の選挙の時の投票用紙にも選ばれたそうです。

和紙と鷲なんていうのもダジャレではないですが意味があるのかもしれません。

鳥の子紙は上質の和紙の代名詞となり、その技術が高く評価され、日本政府が1867年のパリと1873年のウィーン万博にこの手漉きの和紙を出品して日本の優れた技術が世界に知られるようになりました。
特に絵を描いたり、壁紙とするのにとても良かったといいます。

その日本の「鳥の子紙」を真似てオーストリアで模造紙が造られ、今では洋紙が主流になってしまったのです。

ここ鷲子山上神社のある地方が「トリノコ紙」の名前の由来になったとの確証はありませんが、逆にトリノコの名前が先にあって、この地に伝わって地名になったのかもしれません。


(関連地名)
・高部 【たかぶ】
・タバッコ峠



茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/30 17:17
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