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茨城の難読地名(その7)-廻戸

難読地名07

 
シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

廻戸 【はさまど】 阿見町

「廻戸」と書く地名は東北の方には結構あるようです。
福島県では、喜多方市に「東廻戸=ひがしまわりと」、南会津町に「糸沢廻戸=いとざわまわりつと」「川島廻戸=かわしままわりつと)」、昭和村に「野尻廻戸=のじりまわりと」、二本松市に小字で「廻戸=まわりと」などがあり、宮城県にも丸森町に「峠廻戸=とうげまがりど」、岩手県にも西和賀町川尻に「廻戸=まっと」などがあります。
しかしこれらはいずれも「まわりど」が語源の基であり、「まっと」などというのも言葉が詰まったことでそのようになったものと考えられます。

こちらの阿見町の「廻戸」は【はさまど】と読みます。

「角川日本地名辞典(茨城)」によれば、「迫戸とも書いた。霞ケ浦の南西岸に位置する。地名は海に挟まれた土地に由来するという(阿見町の生い立ち)。縄文時代の廻戸貝塚がある。」と書かれています。
また、江戸時代初めの慶長11年(1606)「常州知行目録」では「波佐間戸」との記載があり、江戸時代末期の「天保郷帳」には「波佐間戸村」とあり、古は廻戸村とあります。

ところが、阿見町教育委員会のまとめた「阿見の昔ばなし その6」によると、
慶長7年(1602)の検地帳には「廻戸村」とでてきており、それ以前は「波佐間戸」と書かれたり読まれたりしていたとなっています。

どうも大昔は「波佐間戸=はさまど」で、江戸の初め頃から「廻戸=はさまど」に変わったのでしょう。
でも江戸時代には「波佐間戸」も「廻戸」もどちらも使われていたのかもしれません。

また、阿見の昔ばなしの説明では、旧道をたどってみると谷津をはさむ坂道など曲がりくねった細い道だったことがわかるため、
廻戸の「廻」は、あたりをぐるぐるめぐる、まわるという意味があり、このようなところからとったのかもしれません。
また、「戸」は、霞ケ浦沿岸、利根川、その他の沼や川の近くの入りくんだ所に「戸」のついた地名を見つけることができます。
廻戸と向かい合う霞ケ浦対岸に「折戸」という所がありますが、「戸」は、昔入りくんだ地で河岸のあった所が多く、廻戸も河岸があったとされていますので、舟のつく所からきているのではないでしょうか。

と書かれています。

実際に行ってみました。この場所は国道125号線沿いに予科練平和記念館があり、その反対側の高台になっている場所です。
登ってみると高台と低地が入り混じった地域といえます。

坂道に沿うように住宅が並んでいて、裏手の山が中世に「廻戸城」があったという高台になっています。
上の台地の一角に「まほろば」という施設があり、そこから霞ケ浦が良く見渡せます。
また、この施設の入り口横に「廻戸貝塚」の説明看板がおかれていました。

この山一帯が中世の廻戸城の跡で、城の城主は土岐大善太夫(江戸崎の城主)の家臣「高野次郎八郎」という。

さてざっと見てきて「廻戸=はざまど」の名前の持つ意味を考えてみた。

霞ケ浦がまだ海だったころを想像してみるとこのあたりの地形はどんな様子だったのでしょうか。
恐らく、このあたりも入り江が入り込んだ地形で、一部は島のようになっていたのかもしれません。

入り江に舟着き場があって、ここから漁に舟が出て、島を廻っていたのではないでしょうか。
戸は江戸などと同じ戸口(河口)と思われます。

地形的にはこのような名前なのだと思います。

(関連地名)
・十三間戸 【じゅうさんまど】

茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/01 12:34
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