茨城の難読地名(その9)-大角豆

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
大角豆 【ささぎ】 つくば市
車で国道125号(354号)線を走っていると「桜土浦IC」の近くに「大角豆」という比較的大きな交差点がある。
茨城に来て頃に、最初に何て読むんだろうと気になった場所の一つだ。
「ささぎ」と読むのですが、これは赤飯に使う「小豆(あずき)」に似た「ささげ」のことだ。
漢字で書くと「大角豆」となる。
私など赤飯もほとんど小豆だと思っていたので、ササゲそのものを知らなかった。
見た目の区別もあまりできない。
茨城地方は赤飯には「ササゲ」を使うようだ。
これは地方によっても違うという。ササゲをほとんど使わない地方もあるそうだ。
区別は小豆に比べて豆が少し黒っぽく、芽のところが小豆は白いのに対して、ササゲは白い周りに黒い縁取りがある。
あまり煮崩れしないので祝い事の赤飯には多く使われる。
「ササゲ」を「ささぎ」となったのは、方言的な要素だといっても良いだろう。今でも各地で両方使われているようだ。
でもなぜこの場所が「大角豆=ささぎ=ささげ」なのだろうか?
角川日本地名大辞典(茨城)によると、初めのころは「大角豆房村」と言っていたが、寛文年間~元禄年間に「大角豆村」に改称されたという。寛文年間の時は麻生藩で、元禄年間からは常陸府中藩(石岡)の領地であったという。
したがって、この大角豆は大角豆房が最初に名前についていたというので、小豆のようなイメージの「ささげ」ではなく、「いんげん」と同じような(房)形をした「ささげ」のことだったようです。
では「ささげ=大角豆」はいつごろから日本にあるのでしょうか?
Wikipediaによれば、平安時代に「大角豆」という記述が残されており、江戸時代の『農業全書』には「豇豆」という名前で書かれているという。
また、アズキは煮ると皮が破れやすい(腹が切れる=切腹に通じる)のに対し、ササゲは煮ても皮が破れないことから、江戸の武士の間では赤飯にアズキの代わりに使われるようになった。という。
では、戦国時代または江戸初期に、この地方で、いち早く、この大角豆(ささげ)が栽培され始めたのかもしれない。
また、大角豆の房のように土地がデコボコしていたからではないかという説もあるという。
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