茨城の難読地名(その11)-安食

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安食 【あじき】 つくば市、下妻市
安食 【あんじき】 かすみがうら市
安食(あじき)は小貝川流域の東側がつくば市で、西側が下妻市である。
現在の住所表記では下妻市の大字名は消えている。
この安食地名は全国にあり、アジキ、またはアンジキと読む。
他の地域の例としては
<アジキ>
1、安食 (アジキ) - 千葉県印旛郡栄町 (他に安食台、安食卜杭新田 、安食卜杭(隣の印西市))
2、安食 (アジキ) - 岐阜県岐阜市(他に安食志良古 (アジキシラコ))
<アンジキ>
3、安食西、安食南(アンジキニシ、アンジキミナミ) - 滋賀県犬上郡豊郷町
4、安食中町(アンジキナカマチ) - 滋賀県彦根市
名前の由来についてはさまざまで、確定したものはありませんが、
1)、飢餓があった時でも安心して食べられる場所という説
2)、アジ(崖)、キ(処)という意味で、アイヌ語由来の崖地の意味とする説
3)、安食地名の中の滋賀県犬上郡豊郷町にある「 阿自岐神社(あじきじんじゃ)」がその名前の元になっているとする説
特にこの3)の説は、この豊郷町にある「阿自岐神社(あじきじんじゃ)」はかなり古い神社で、1500年前の名園が残されているといわれています。神社に祀られているのは古事記などに登場する「阿遅鉏高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)」です。阿治志貴高日子根、味耜高彦根などとも書きます。
この神様は、大国主神と宗像三女神のタキリビメの間の子供とされ、日本の神の中では素性の良くわからない謎の多い神とされています。詳細はここでは省きますが、この神社の説明によれば、
この場所は、応神天皇の頃(5世紀頃か?)百済から渡来人であるアジキ氏が住んだところとされ、そのアジキ氏が祖先を祀るために阿自岐(あじき)神社が建立されたといわれています。池泉多島式と呼ばれる古式庭園の中に社殿はが鎮座しています。
この庭園は周辺の田畑を灌漑する用水池を原型とし、これを荘厳したしたものと考えられていますが、別な言い伝えでは、日本に漢字を伝えた王仁(わに)氏を招いて庭園を造ったとも言われています。
王仁(わに)氏は日本書紀や古事記に登場する百済から日本にやってきた渡来人で、日本に『論語』『千字文』(儒教と漢字)を日本に伝えたとされる人物です。
地名としての「安食(アジキ)」はこの「阿自岐(アジキ)氏」が由来というわけですが、何しろ5世紀頃の話ですので、明確にはわからないといったところでしょう。
しかし、この滋賀県豊郷町は「近江商人(おうみしょうにん)」発祥の地とも言われる街です。
この近江商人が「三方よし(売り手によし、買い手によし、世間によし)」を商売の心得として説き、各地を行商して歩き、商売の基本が広がりました。
このアジキ、アンジキ地名もその近江商人と関係があるのかもしれません。
また古事記などでは「アジ」=「可美しき(うましき)」と同意語として使われていますので、「アジキ」の「アジ」には美しいというような意味が込められていたのかもしれません。このため「アジキ=美しい処」などという意味があるのかもしれません。
かすみがうら市(旧出島村)の安食(あんじき)地名については、明治22年に安食村・柏崎村・岩坪村・下軽部村が合併して「安飾村」ができました。この「安飾」という名前がしばらく使われていたので、「安食」ではなく、いろいろな施設に「安飾」の名前が残されています。
地元の説明ではこの安飾を村の名前に使う時に、古代・中世の名前を復活させたとしていますので、大昔は「安飾=アンジキ」があって、それが「安食=アンジキ」に変わっていったのかもしれません。
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