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茨城の難読地名(その12)-大歩

難読地名12

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

大歩 【わご】 猿島郡境町

 この「大歩」と書いて「わご」と読む地名は全国の地名を調べてみましたが、他には見つかりませんでした。
各、難読地名の紹介がなされているサイトなどでもほとんど意味不明なものばかりです。

産経ニュース「難読地名を行く-茨城編」の中で、境町歴史民俗資料館の初代館長、椎名仁氏の著書「境町の歴史散歩」の内容を紹介しています。 これによると

 「アイヌ語の『湿地』を意味する地名だともいわれています」

とあり、 「わご」はアイヌ語で「湿地」を意味しており、土地柄から名付けられたのではないかという説が紹介されています。
また、その中に
「永禄10(1567)年の文書に『泉田郷の内宇和後』、元和6(1620)年の文書に『泉田の内うわこ村』とあります」。
とも書かれています。

この大歩(わご)地区の南に、現在も「西泉田」という大字があるため、この「内宇和後」(うちうわこ)が 「わご」 に変化したものではないかと書かれていました

でも「大歩」という漢字が当てられた理由はどこにもありません。

わけがわからない地名の多くが、「アイヌ語」「古アイヌ語」「縄文語」ではないかといわれ、それで何となく納得させられてしまうのですが、ここに書かれている話はどうにも理解ができません。

上に紹介されている内容からわかるのは、「わご」または「わこ」と呼ばれる地名が江戸時代の前からあり、昔は「和後」と漢字で書かれていたということです。

「わご」そのものに「湿地」という意味が、私にはアイヌ語で結びつかないのです。

湿地を意味する言葉として使われている「アイヌ語」として調べてみると、「トマ」「ニタ」「サ」などがあります。
これらは北海道にこの語がもとになったという地名がたくさんあるようです。

では、この「大歩(わご)」のあたりを地図で見てみましょう。
この場所は「関宿(せきやど)」という、江戸時代の水運の一大基地であった場所の少し東側です。

この地で利根川は荒川と分かれるのです。 
でもこれは徳川家康から3代に亘っての大工事であった「利根川東遷」事業によるものです。

この事業の前の地形はどのようになっていたのでしょうか?

家康は東京湾に注いでいた利根川を、このあたりで銚子の方に流れていた常陸川につなぎ変えるために「赤堀川(あかほりがわ)」を掘削して利根川の一部にしました。

確かに昔の地形を想像すると「湿地」であったのかもしれません。
でも「輪(わ)河(ご)」、「和(わ)河(ご)」として、河(川)の曲がっている場所、または河が合流している場所などにつけられたのではなかと思われます。

全国の郵便番号簿で「わご」「わこ」などの付く地名を探してみると、たくさん「和合」「和郷」(わごう)という地名が見つかりました。

・秋田県大仙市 和合
・山形県山形市、朝日町 和合
・新潟県新潟市 和合
・富山県上市町 和合
・長野県阿南町 和合
・岐阜県大垣市、瑞浪市、 和合 、各務原市 蘇原和合町
・静岡県浜松市 和合
・愛知県東郷町 和合

その他、「和郷(わごう)」という地名も広島県と長崎県にありました。

この「和合」という地名もおそらく 河の曲がっているところや、川が合流したりする場所に多くつけられていた名前のようです。
しかし、「和合」という漢字の持つ魅力で、いつの間にかこの字が充てられたものが多いように思われます。
ところで埼玉県の和光市の名前は、市になる前は「大和町」でしたが、神奈川県にすでに「大和市」があったために、公募でつけられた名前です。
しかし、このあたりは新羅の人たちが開墾した土地で「新座」「志木」などは「新羅」(しらぎ)が関係している地名のようです。

さて、では「大歩」という漢字が何故この地に充てられたのでしょうか。
前に述べたように、豊臣秀吉の「安土桃山時代」から家康の「江戸時代」頃には「内宇和後」「内うわこ村」などと記載されていたといいます。

これについては何も資料がないので、大胆な推測をしてみました。

豊臣秀吉が行った太閤検地で全国の田畑の測量がなされました。
この時に、田んぼの大きさによく使われる面積である「1反(たん)」が、それまで360歩(ぶ)であったのを300歩(部)に変更したのです。
今でいえば1歩は約1坪です。畳でいえば2畳ですね。ですから1反は300坪 (約1000 m2 )です。

しかし、これ以外に1反の2/3、1/2、1/3という単位が存在していました。
これを「大歩」「半歩」「小歩」と書き、特に関東では良く使われていたようです。

これによれば「大歩」は約200坪の面積となります。

太閤検地後のこのあたりの田んぼが「大歩」すなわち、約200坪単位で区切られていたなどということはなかったのでしょうか?

これは私の単なる想像にしかすぎませんが、地名を考える時に一つの参考にはなるかもしれませんね。

ところでこの堺町は「猿島郡」にあるのですが、この地も他所の地域の人は読めないようです。
「猿島=さしま」と読みます。

「猿島茶=さしまちゃ」としての茶どころとして有名ですので知っておられる方も多いかもしれません。

でもこの「猿島郡」は常陸国ではなく、下総国です。
利根川上流域は昔は下総国が多いのです。神社も鹿島神社は少なく、香取神社がたくさんあります。

<関連地名>
猿島郡五霞町幸主 【こうしゅ】
猿島郡五霞町小手指 【こてさし】
猿島郡境町内門 【うちかど】
猿島郡境町下砂井 【しもいさごい】
猿島郡境町百戸 【もど】

茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/05 07:55
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