茨城の難読地名(その15)-門毛、粗毛・・・

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
門毛 【かどけ】 桜川市
粗毛 【ほぼけ】 行方市
奈良毛 【ならげ】 鹿嶋市
粕毛 【かすげ】 土浦市
毛有 【けあり】 取手市
今回は「毛」の付く地名を集めてみました。
「毛(け)」というと頭に浮かぶのはやはり人間や動物の毛、髪の毛などですよね。
こちらは栗毛色、三毛猫など色の表現にも使われます。
でももう一つ「毛=もう」がありますね。
こちらでは「不毛の土地」 「二毛作」などというように食物が育つという意味にも使われますし、そのほかにも数値の単位として分(1/10)→厘(1/100)→毛(1/1000)というような細かな単位を示す場合などにも使われます。
では茨城県の地名に使われている「毛」はどんなところからつけられているのでしょうか。
1) 門毛 【かどけ】 桜川市
この門毛の場所は茨城県と栃木県の2県にまたがる県道257号線の両県の境にある町です。
2つの県にまたがるのですが、両県とも同じ番号の県道となっています。
名前の由来については、常陸国国府(現石岡市)から「毛の国」へ行くときに、毛の国の「門」にあたる場所だということで呼ばれていたようです。
でもこの「毛の国」って何?と思いますよね。
昔、栃木県は「下野国(しもつけのくに)」と呼ばれていました。
しかしこの大昔は「毛の国=毛野(けぬの)国」と呼ばれていたのです。(「けの」は「けぬ」とも言っていた)
それが2つに分かれて「上毛野(かみつけぬの)国」「下毛野(しもつけぬの)国」となりました。
それが国名を2文字にするというお達しがあり、「下野国(しもつけのくに)」「上野国(こうずけのくに)」と名称が変わり、現在の「栃木県」と「群馬県」となったのです。都に近い方が上ですので群馬県が上です。
地名を2文字にせよとのお達し(713年)は女帝の「元明天皇」の時ですが、粟は「阿波」となり、泉は「和泉」などと国名も地域地名も変わったようです。
この「毛」という名前はほとんど消えていますが、今でも「両毛線」(鉄道)などの名前に使われています。
この最初に「毛野」と呼ばれたのは、どうも4世紀くらいの古墳時代の頃からのようです。
5世紀末には「下毛野」「上毛野」「那須」などと分かれ、7世紀末に「下毛野国」「上毛野国(上毛野+那須)」となり、8世紀初めの713年のお達しで「下野国」「上野国」となったようです。
「毛の国」と最初にこの地域が呼ばれるようになった由来は諸説あり
(1)「毛」は食物、穀物の意味で、肥沃な土地であった・または「御食(みけ)」が地名に変化したという説
(2)昔、蝦夷人たちを「毛人」と呼んでいた。この蝦夷人たちの住む地であったので「毛の国」と呼ばれたという説
(3)豊城入彦命などの「紀の国」出身者がこの地を開拓し、移住をしたため「紀の国」の「きの」が転訛したという説
などが言われています。
私個人としては(2)の説に賛同しますね。でもいやだと思う人は(1)の説などを唱えるのでしょう。(3)も史実としては納得しますが「きの」が「けの」に転訛するというのは少し根拠に乏しい気がします。
2) 粗毛 【ほぼけ】 行方市
普通に「粗毛」は「あらげ」「そもう」などと読むと思いますが、この地名「粗毛」は「ほぼけ」と読みます。場所は霞ケ浦の北湖岸に沿った旧麻生町の麻生から少し潮来側に寄った場所にあります。
地名の由来についてはこのあたりの地形から「崩(ほう)ける」の言葉が元になっているといわれています。
近くの「麻生(あそう)」についても「麻が生い茂っていた」という説が強いようですが、こちらも「アゾ」という崖を意味する言葉が元であったのではないかという考え方もあります。
3) 奈良毛 【ならげ】 鹿嶋市
奈良毛(ならげ)は霞ケ浦の「北浦」東岸にあります。平成の大合併前は大野村でした。
この地にも古墳があり「奈良毛古墳群」と呼ばれています。
地名としては、南北朝時代に常陸国鹿島郡に「奈羅毛」と書かれていた記録があり(角川日本地名大辞典)、「奈羅毛津」、「ならけの津」と呼ばれ、港(津)が発達していたと考えられます。
奈良、奈羅の意味合いや由来についてはわかりませんが、ここに古くから人が住んでいたようです。
「奈羅」という字を調べると、「奈羅訳語氏(ならのおさし)」という古代氏族が出てきます。この「奈羅訳語氏」は朝鮮半島からやってきた秦氏の一族だといいます。
「訳語(おさ)」とは通訳のことで、奈羅訳語氏の祖と言われているのは、「己智(こち)」とい人物が百済から日本に渡ってきて、540年に日本に帰化して、奈羅訳語氏となったといいます。
遣隋使などに同行して中国に渡って、通訳などを務めたのでしょうか。
この「奈良毛」もこの一族と関係があるかもしれません。
4) 粕毛 【かすげ】 土浦市
「粕毛」(かすげ)は霞ケ浦へ注ぐ桜川の下流の右岸にあります。現在の上高津にあるイオンモールの少し上流側です。
江戸期から見える村名で、初期のうちは「信太郡(しだぐん)」でしたが、江戸後期の天保年間に「新治郡」に組み入れられました。
昔は「糟毛」と書いていたようです。
「粕毛」「糟毛」というのは「栗毛「黒毛」「鹿毛」などと同じように馬の毛色を表す言葉に使われています。
この粕毛の馬の毛色は「灰色に白い毛の混じったもの」です。
地名の由来は不明ですが、この色合いと関係しているのかもしれません。
5) 毛有 【けあり】 取手市
毛有とは変わった名前ですね。「毛無」というのは結構ある名前で、「毛無山」などがあります。
この「毛有(けあり)」地区は、旧藤代町にあります。
「角川日本地名大辞典(茨城県)」によれば、地名の由来は
「もともとこの地は低湿地地帯で、耕作には適さない地でした。それを江戸時代前期の寛永年間に開発され、穀倉地帯になったそうです。そのことから「不毛」⇒「毛有」となった」ということです。
作物が取れない頃は「毛無原」と呼ばれ、この地を開発したときは「毛無新田」と名付けられたそうですが、不毛の意味になってしまうというので後に、「毛有」に変更されたそうです。
参考までに北海道の駅名に面白い地名がありましたので紹介します。
・大楽毛(おたのしけ)駅・・・アイヌ語の「オタ・ノシケ(砂浜の中央)」に由来、
・増毛(ましけ)駅・・・アイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)に由来
とされています。
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