茨城の難読地名(その16)-乙子、乙戸

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
乙子 【おとご】 守谷市
乙戸 【おっと】 土浦市
乙の付く地名を集めてみました。
上の2件が見つかりましたが、そのほかに阿見町の追原(おっぱら)は昔「乙原」と書いていたようです。
1)乙子【おとご】守谷市
この地名の由来については下記の2つが市の説明などに書かれています。
(1)平将門伝説で、将門がこの守谷の山にに城を築き、万が一の場合に備え、城から抜け穴を掘り、そこから逃げることにしました。その抜け穴の出口を落口(おとしぐち)といいました。それが乙口(おとぐち)に変わり、さらにそれがなまって乙子(おとご)に変化したとする説。
(2)万葉集の歌人の犬養浄人(いぬかいのきよひと)が、末っ子を非常にかわいがり、成人になっても心配なため、近くのこの地に家を建てて生活させたそうです。昔の人は末っ子を乙子とも言ったとのことで、後に当地区を乙子と呼んだとする説。
角川日本地名大辞典(茨城県)には、上の(1)の将門伝説の説明がそのまま地名の由来として載っています。
でもこれは少し納得いかないですね。
(2)の説も少し根拠に乏しい気がします。もう少し探してみましょう。
そこで、全国の乙子と名の付く地名を探してみました。
・島根県益田市乙子町 おとごちょう
・岡山県岡山市東区乙子 おとご
現在の郵便番号簿での地名としてはこれだけですが、いろいろ調べていくと熱田神宮の末社(6社)の中に「乙子社=乙子神社」があり、やはり「おとご」と読みます。
また、この乙子社を本社とする神社が各地にあるのです。
・新潟県新潟市中央区沼垂(ぬったり)東 乙子神社
・・・説明では、乙子神社の乙子とは「末子」という意味で、天照皇大神と彌彦神社の祭神・天香山命(あめのかごやまのみこと)の末っ子である建諸隅命(たけもろずみのみこと)を祀っているとあります。
・新潟県燕市国上 乙子神社・草庵
・・・ここの社務所に良寛が10年間住んだといわれています。
・岡山県岡山市東区乙子 乙子神社(乙子城山に鎮座)
・・・ここも祀られている柱の一つである若御毛沼命(わかみけぬのみこと)<後の神武天皇>が、五瀬命((いつせのみこと)=(安仁神社)の末弟であることから乙子=末っ子から来ていると説明されています。(長兄が五瀬命で末っ子が若御毛沼命)
しかし、地元の地名の説明には、「波風の静かな児島湾を湖に見立て、潮騒が聞こえる湖から音湖といい、乙子の字を当てた 」との説も書かれています。
でもどうやら熱田神宮の末社の「乙子社(おとごしゃ)」が名前の最初のような気がします。
この乙子社は熱田神宮の六末社の最北に建つ神社です。住所は愛知県あま市乙之子(おとのこ)にあります。
祭神は弟彦連(おとひこのむらじ)といい、尾張氏系図に14世孫として載っています。
これからみると「乙子(おとご)」は弟彦連(竟乎己連(おとごむらじ)ともいう)の「おとご」から来ているのではないかと感じます。もちろんこの人物も末っ子なのかもしれませんが・・・。
なお、この「乙子社」は貴船神社との関係が指摘されています。
1)乙戸【おっと】土浦市
土浦市に乙戸沼(おっとぬま)があり、その近くの地名が「乙戸」「乙戸南」となっています。
またこの沼から「乙戸川(おっとがわ)」が流れており、小野川と途中で一緒になり、稲敷(江戸崎)へ流、霞ケ浦に注いでいます。
「乙戸」の名前の由来としては、はっきりしませんが、昔は、沼の中央の形が「乙」の形であったからといわれています。
現在は乙戸沼公園となっており、卸売市場などの施設もあり、残念ながら形状が乙形かどうかはよくわかりません。
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