茨城の難読地名(その19)-先後

難読地名19

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

先後 【まつのち】 小美玉市

この先後の読み方ですが、現在の登録されている住所表記には「まつのち」となっていますが、地元では「まつのち」は言いづらく、昔から「まずのち」と呼ばれています。
通常の会話では、このあたりのことばとしては濁った発音で、「まず」などとよく言いますよね。

また、「角川日本地名大辞典(茨城)」には、地名の読みは「まずのち」となっています。(旧美野里町)
平成の市町村合併前の美野里町の頃は「まずのち」と呼ばれていたようです。
それを濁らない「まつのち」に変えたのには何か理由があるのでしょうか?

地名の由来について、この地名大辞典では、
1) 伏見(京都府)・松崎(千葉県)と当村の3稲荷が京にのぼり位階を受ける時、伏見が最初に受け、そのあと当村の稲荷に勧めたところ、松崎を推し、私は「まずあとにしよう」といったので先後とした。
2) 松崎稲荷の分霊を祀ったので「マツザキ」に対して「マツノチ」とした。
などの伝承がある(美野里町史編集資料) となっています。

まあ伏見稲荷は有名ですので別格として、もう一つの松崎神社ですが、この神社は千葉県香取郡多古町にある坂上田村麻呂が蝦夷征伐に出かけるよりも前の西暦772年創建が伝えられる古い神社で、「坂東稲荷本宮」などとも称していた神社です。

この1)の話は地元の神社などに掲げられた地名由来の話とほぼ同じです。
伏見稲荷と、松崎神社の2社に同列でこちらの神社の位を論じるのは少し不適切に感じます。
このため、上記の説では2)の方が可能性は高いかも知れませんね。
そうすれば「まず」ではなく「松=まつ」というのが正式名称というのはうなづけます。

さて、この場所は小美玉市(旧美野里町)の6号国道が隣の茨城町に入るすぐ手前の低地で、巴川上流左岸にあります。まわりは田んぼが広がっており、先後新田と呼ばれていますが、江戸後期の天保年間までは「前後新田」と記載されています。
また先後稲荷(まつのちいなり)は徳川光圀が、西郷地村(すぐ東となり)の刺賀飛護念(ひがひこね)の社(現石船神社)に合祀されたといわれます。(県神社誌)

全国に「先後」という地名は見つかりませんでしたが、「前後(ぜんご)」という地名はあります。

愛知県豊明市前後(ぜんご)  これは名鉄名古屋線の駅名にも成っていますので、知っている方も多いのではないかと思います。

地名「前後」の由来としては

1) 昔、桶狭間の戦い(1560年)で織田信長が今川義元を破った時、この戦いで亡くなった兵士たちの首を「前後」に並べたところからつけられたとの伝承からついたという説。

2) 「前後村」という名前は、明治になってからつけられた名前で、それまでは「五軒家新田村」と言われていました。その「五軒家新田という名前も、その前をさかのぼると、江戸時代初期には「間米(まごめ)村」といわれ、中心となる「本郷」のほかに、17世紀に「五軒家」、「八ツ屋」、「三ツ谷」という3.つの集落ができました。これらの集落が本郷の南にあるため、「前郷(ぜんごう)」と呼ばれたのが、「前後」に変わったものという説。

3) 桶狭間のなまえの元になっているように、このあたりは狭い谷が迫っているところで、狭い所を意味する「せこ(狭処)」が変化して、「せんこ」になり、それが「ぜんご(前後)」に変わったものとの説。

などの説があります。

小美玉市の「先後」について、地形によりつけられたという話しは見つかりませんでしたが、何かありそうな気もします。


茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/10 14:20
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