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茨城の難読地名(その26)-子生

難読地名26

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

手生 【こなじ】 鉾田市

 この子生で【こなじ】と読ませるわけだが、全国を見ても同じ読みの地名は見つからない。

<子生>が付く地名としては、

茨城県つくば市手子生(てごまる)
茨城県鉾田市子生(こなじ)
福井県大飯郡高浜町子生(こび)
愛知県稲沢市子生和町(こうわちょう)
福岡県八女市黒木町鹿子生(かこう)

と出てくる。「手子生」(てごまる)は先に書いた。
他は子生を「コウ」「コビ」などと読ませている。

角川の地名辞典には地名の由来は触れられていない。まあわかる資料がないということだと思う。

ネットで調べてみると「難読地名を行く-茨城編」(産経ニュース)によれば、地元の「厳島神社」の氏子の話として、伝聞として聞いてきた話が載せられていた。これによると、

「当地には厳島神社「本殿」があり、「子生の弁天様」として親しまれている。
こちらの神社の氏子総代会長の話では「地名が決まる前から神社があり、安産の神様として親しまれていたから、子生という地名になったのだと思う」とのこと。
「こなじ」と読む由来としては「昔、年配の氏子から『子を生(な)す』がなまって『こなす』から『こなじ』に変化したと聞いた」とのこと。」
と書かれていた。

しかしこれは少し根拠に乏しい。
なぜなら子生の厳島神社は確かにかなりの古社ではあるが、創建は、鉾田市観光協会のHPには1265年に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とし、安芸の厳島神社より分霊を迎えたと古老の口伝えがあります。となっています。

すなわちはっきりしたものではなく口伝で伝えられてきたことで、1265年というのが伝承ではありますが、現在の公式な見解なのでしょう。

しかし、この「子生(こなじ)」という地名はもっと前からあるように思っています。

常陸国国府のあった石岡には常陸国分寺があって、そこに伝わる国分寺の鐘の伝説が有名です。
奈良時代に聖武天皇の命令で国府に建てられた国分寺。七重塔も建ち、立派な伽藍が建てられました。
その時、この「子生(こなじ)」の浦に2つの大きな釣鐘が浮かんだのです。
それを手押し車にのせて、何日もかけて国府の国分寺に運びました。
現在でもこの時に鐘が通過した場所に「七日ケ原」「車作」「八日ケ堤」の地名が残り、また車軸が、鐘の重さに耐え兼ねて折れた所には、「こみ折れ橋」等の名前が付けられて残されているとなっています。

子生(こなじ)は常陸国府(石岡)から見ると太陽が登る東の方角にある鹿島灘沿岸の村です。
筑波四面薬師の一つと言われる菖蒲沢薬師堂の薬師観音像はこの子生から空を飛んできたとの言い伝えもあります。

子生の厳島神社は少し内陸に入ったところで、これらの伝説の子生は海岸に面した浜です。

こんなことを考えて、前述の由来と違った他の考え方ができないかを勝手に考えてみた。

1) 子生は常陸国府と密接なつながりがあり、「国府」⇒「こう」⇒「子生」と変化(国府とはかけないので)、この当て字の読みが「こなす」⇒「こなじ」となった。

2) つくばにある「手子生(てごまる)」と同じように「手子后(てごさき)」神社の祭神「手子比売命」(手子は女子の愛称で、手児などという地名も多い)などの神がまつられ、手子生 ⇒ 子生 などとなった。

どれもあまりはっきりとしないが、上記2つの案もありそうな気がする。(私見)


茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/15 07:15
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