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茨城の難読地名(その28)-仏生寺

難読地名28

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

仏生寺 【ぶっしょうじ】 石岡市(旧八郷町)

石岡市八郷地区の辻イチゴ団地の信号を入った筑波山の麓に「仏生寺」という地名がある。
この近くに同じ名前の寺はない。あるのは小野小町伝説で知られる「北向観音堂」だけだ。

「八郷の地名」(八郷町教育委員会編)によれば、
 地名の由来については、小野越村北向観音伝説によれば中世僧行基が、老翁の指示に従って仏像をつくり堂宇を建立して仏生れる処と名付け、今は廃寺の龍光院がその寺という。古老は、小野越・佛生寺はもと一村という
と書かれています。

また、地元のボランティア団体の「八郷ふるさとの史跡守り隊」が発行している「民話の里めぐり」というパンフレットに地名のいわれが載せてあり、これによると、概略、

 「行基菩薩が稽主勲を伴って、筑波山を経てこの地にさしかかると山里に光明を見た。
急いで行ってみると神龍が潜むような川の淵に白髪の老翁がいて、近付くと雷が落ち周囲の木が燃え、白壇の木が残されていた。
そして、この木で仏像を彫り住民に与えたという。そして、後に堂宇を建て「龍光院」と名付けた。
行基菩薩は、「この地は仏が生まれた地であるので、仏生寺と名付けよ」と言われたという。」
となっており、八郷の地名とほぼ同じです。

一方「八郷町誌」にはこの北向観音堂に安置されている観音様について、次のように紹介しています。

「一説には、観音を背負った回国六部がここにきて病にかかったとき、長い間厄介になったある家の主人に観音のご利益を説き、お礼として残したものともいう。」

となっています。回国六部は法華経を写経して全国(66か国)に配って歩いた僧侶や篤志家の人たちで六十六部と呼ばれました。

 確かにこの一帯から弓弦(ゆづり)のあたりはいろいろ信仰も厚かったようで、人数の少ない部落が多い中でいろいろな仏教遺跡も多い。ただ、この伝承も地名が先にあって、話は後からつけられたのではないかと感じてしまう。

では全国で「仏生」「仏生寺」という地名を探してみました。

茨城県石岡市仏生寺(ぶっしょうじ)
新潟県小千谷市三仏生(さんぶしょう)
富山県氷見市仏生寺(ぶっしょうじ)
富山県中新川郡舟橋村仏生寺(ぶっしょうじ)
岐阜県本巣市仏生寺(ぶっしょうじ)
滋賀県彦根市仏生寺町(ぶっしょうじちょう)
香川県高松市仏生山町甲、乙(ぶっしょうじちょうこう、おつ)

柳田國男が書いた「地名の研究」にこの仏生についての記述があります。

12.神仏の名:  ・・・・仏寺仏堂に対する指定地も色々あった。検地と称して特に租税をの全額を免除したものの他に、半分または三分の一を減免して、その分だけを仏に奉るのを免といった。薬師堂の領する田を薬師免、油の入費に宛てたものを灯明免、または油田などをいっている。
仏を敬う風は昔から盛んであったと見えて、仏供田という地名も此地方にはきわめて多い。
或いは仏聖(ぶっしょう)とか仏生とか書いた字名もあるが、これなども正しくは仏餉田というべきで、即ち仏様に、日を定めて御飯を供える米の出処であったのである。
 こういう経済上の理由以外にも、神仏の名を呼ぶ地名はこれに限らず、どこへ往っても非常に多いものである。

などと書いていて、ここには十三塚の地名のかなり集めていたことがうかがわれます。

これによれば、仏に供する米を作っていたところが免税となり、仏生などの地名がつけられたようです。

仏供田という地名には下記がありました。

 愛知県稲沢市平佛供田町(ぶくでんちょう)





茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/15 11:42
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