茨城の難読地名(その29)-吉生、加生野

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
吉生 【よしう】 石岡市(旧八郷町)
加生野 【かようの】 石岡市(旧八郷町)
<吉生(よしう)>
この石岡市八郷地区の吉生(よしう)地区の山の中腹には関東の清水寺とも言われる峰寺山西光院がある。
この地名の由来にはこの寺にまつわる伝説が言われています。
「八郷の地名」(教育委員会編)には、地名由来について、
「八郷町誌」を始め幾つかの民話の中で、小栗判官が妻の照手姫をつれて通りかかった時急に産気づいたので、判官は山上の観音に祈願したところ、たちまちにして立派な男子が生まれたので、よく生まれたに因んでこの里の名を吉生と名付けたことに始まると言われる。
ただ、一般論としては葦の繁る湿地の処を美称の吉生に置き換えたのであろう。
と書かれています。
どこも地名は縁起の良いものに変えるということが良く行われてきました。
例えば石岡市内の幸町は元は「土器屋(はじや)」と言っていましたし、若松町は「長法寺町」と言っていました。
ここも葦生が「吉生」にいつの頃か変わり、それにつれて、名前に合わせた伝説が作られてきたのだと思います。
伝説は、山を越えた先にある旧協和町の小栗判官の説話が有名になり、このあたりにも影響しているのでしょう。
ただパターンは2つあり、山の観音様にお詣りして無事子供が生まれたという話しと、地元にあるきれいな湧水を飲んで産気づいたのが良くなって無事生まれたというものがあります。
峰寺山にある立木観音は根の付いた自然木に彫られた大きな(十一面)観音像で県の重要文化財に指定されています。
大昔を見てみると、この吉生は「大幡郷」に属していました。この郷の中心となった地区が現在の「小幡(おばた)」地区です。ですから大幡(おおはた) ⇒ 小畑(おばた)に変化したものです。 ここは機織りが盛んであったようです。
また隣の「葦穂」は「夷針郷」でした。この「葦穂(あしほ)」の名前は今の「足尾山」の古名である「葦穂山」が元になっています。
万葉集にも「あしほ山」と出てきます。
<加生野(かようの)>
最初は萱生野村といったが、天保年間に加生野村と改称した。
地名大辞典によると「カヨノ」は通生・加用・賀陽・萱生などから萱・茅などの茂る処の地名という。
この地域は開拓が遅く、月岡の人々が通いながら開拓して、月野岡の野を取り野に加ふる道より加生野となったとする説が強い。
平地であるのに開発が遅れたのはこの地に多くの古墳が残されており、神聖にして侵すことのできない信仰対象地域であったのではないかとも考えられています。(八郷の地名)
近くにある変わった地名を少しここで紹介しておきましょう。
風来里【ぶらり】:
小屋地域に位置する上曽飛び地。「ブラリ」は山地の出張った処や垂れ下がった処などの意。
漢字の表記の「風来里」は山頂から風が吹き降ろす里集落の意である。(八郷の地名)
狢内【むじなうち】: :今の住所表記は「龍明(りゅうめい)」に変わっている
地名の由来は不明であるが、獣の狢の意ではない。
足尾山中腹の山中に位置する狢内に、源流を発する小さな川は、下流の鯨岡と弓張境までの川岸が山間の急流を流れることからの地形語と考えられる。
「ムサ・ムシ・ムジナ」などの意は山中の「沢」が曲流して崩壊地形をつくる地名という。
「ムジナ・ムジル」でむしりとるの沢が流れの方向を変える処の意ともいわれている。(八郷の地名)
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