茨城の難読地名(その30)-嘉良寿理

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
嘉良寿理 【からすり】 石岡市(旧八郷町)
この嘉良寿理(からすり)という地名は、まわりの地名と比べてとても違和感がある。
まったく地名らしくない。 また「り」はどういうわけだか「里」ではなく「理」である。
「八郷の地名」(八郷町教育委員会編)では、
地名の由来については様々な説がある。
元禄郷帳には鷹爪、天保郷帳では烏瓜、「新編常陸国誌」では烏瓜(加良須宇里)、明治17年(1884)の大日本帝国参謀本部陸軍部作成の地形図は加良須里とある。
現在は嘉良寿理と表記している。本来は「涸州里」で水の少ない谷津地集落の意であろう。
一方では「唐住里」で大陸渡来人の住んだ集落説を唱える説もある。
と書かれている。
平凡社「茨城県の地名」では、「烏瓜村」(からすりむら)について、恋瀬川から東に延びる谷津田の最深部に位置し、・・・・常陸国府に通ずる古道(瓦谷街道)が村内を通る。 そして、室町期の回国聖の遺跡として貴重な経塚「嘉良寿里経塚」と貴船神社が紹介されている。
確かにあまり川もない水の少なそうな地域ではある。
しかし、この地区にある古い神社は「貴船神社」と言い、大きなスタジイの古木がそびえている。
貴船神社は水神を祀る山の神のように思うが・・・・。
このあたりから隣の上林(はやし)、下林など含め平安時代の拝師郷だった場所だと思う。
今はゴルフ場もでき山は開発されている。
昔は地名を「烏瓜(からすうり)」だったとあるので、漢字は後からつけた当て字だということはわかる。
やはり、由来の2つ目の案である「唐住里」=渡来人が住んでいた場所 と呼ばれたのが最初のような気がする。
この少し下ったところが「瓦谷」などがあり、奈良時代には常陸国分寺の屋根瓦などが焼かれていた。
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