茨城の難読地名(その31)-弓弦

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
弓弦 【ゆづり】 石岡市(旧八郷町)
「八郷の地名」(八郷町教育委員会編)によれば、
弓弦を「ユヅリ」と読む例は極めて珍しく、地名の由来についてはさだかではないが、古老の言によれば、日本武尊が東征の際この地で弓の弦を張り替えたことによる命名という。
地形語としては「ユズル」から地滑りの起きやすい地形で、崩壊地形・急傾斜の多い処などの地形語という。
数多い小字名には、伝説地名や信仰対象地名が多いのも特色の一つである。
字地獄入には、伝説の浅間神社があり、字寶蔵寺境内は禅宗廣澤山寶蔵寺である。
廃寺東福院は字元東福院屋敷付にあったといい、小さな村落なのにいくつかの寺社が存在していたのも珍しい地域といえる。
と書かれている。
確かに今の全国の郵便番号地名には「弓弦」という地名は出てこない。
今の7ケタ郵便番号簿はほとんど小字名が消えてしまっているので、地名の由来などを検証するのは難しい。
この八郷地区の弓弦の地名については、地元の話でも、このヤマトタケルが弓の弦を張り替えたからという伝説しか出てこない。
この地域に限ったことではないが、ヤマトタケルの伝説はこの石岡・八郷地区にもたくさんある。
では郵便住所地名に「弓弦」という地名がないので、「ゆづり」という読みの地名が他にないかどうかを調べてみた。
岡山県赤磐市由津里(ゆづり)
があった。この赤磐市由津里にはかなり古い神社「片山神社」が鎮座していた。
この神社を調べると、
「本神社の創建は孝霊天皇の御宇七十二年に、吉備若日子建王子が播磨を征せられた時に、籠もって祈り給うた。天平二年(七三〇)九月一日に建替、永承四年(一〇四九)に神社仏舎利納めのときに、峰から麓に遷座した。片山大明神と称し、正三位の神位を贈られた。延喜式赤坂之部鴨三社の一で、明治三年三月に郷社となった」(岡山県神社庁)
とある。
日本書紀によると、第10代崇神天皇の時代(3世紀頃?)、四道将軍(しどうしょうぐん:4人)が、北陸、東海、西道、丹波へ派遣されて、その地の征服を行った。
四道将軍の一人、第7代孝霊天皇の皇子である「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」(吉備津日子命)(一説では桃太郎伝説のモデル)が吉備国(岡山県)を平定するために出陣した。 この吉備津彦命の弟が「吉備若日子建王子」というらしい。
この「吉備若日子建王子」は播磨を征服するために出かけるが、その時に、この神社の場所に籠って勝利祈願をしたらしい。
さて、ただ「由津里(ゆづり)」という地名の由来は見つからない。
この岡山県の由津里と、石岡の弓弦の共通点は?
この八郷地区にはヤマトタケル伝説も多いが、柿岡の丸山古墳は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の奥津城(墓)だとも言われている。また佐志能神社(石岡に3社ある)にこの豊城入彦命が祀られている。
しかし、ヤマト朝廷がこの地を征圧したのは時代的に少し後のようで、恐らく豊城入彦命の意思を引き継いだ彼の子孫ではないかと感じている。関東・東北地方には豊城入彦命が神格化された話が多く残されている。
両者の共通点を漠然と想像するとこの「ゆづり」は「譲り」ではないかという様な気もする。
地形説も確かにあるが、この地には昔から信仰心が強いというのも何か気になるところだ。
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