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我欲

3月30日2度目の投稿です。

今朝、家内がふと「宮沢賢治の雨ニモマケズの詩が思い浮かんできた」といった。そこで曖昧な記憶を整理するためにネットで検索してプリントしてわたした。
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<雨ニモマケズ>
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
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これは当然良く知っている詩で、妻もテレビなどの連日の報道を見て、ふと浮かんできたのだと思うのですが、私はこの言葉を聞いて、先日の石原慎太郎東京都知事の話が思い出されました。

「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」さらに「被災者の方々はかわいそうですよ」と付け加えた。(これは発言の一部で、少し正確ではない。正確な発言は別途確認ください。)

と報道され、各メディアはじめ、インターネットでもこの発言に対し批判の嵐となった。
仕方なく、都知事はこの発言を撤回し、謝罪したといいます。私は直接発言を聞いていないので、報道されている内容だけから考えています。

この我欲という言葉が、「雨ニモマケズ」の詩と重なり合って思い出されました。

私も政治家都知事(行政のTOP)の発言としては、この苦しんでおられる方がいる時に適切ではないと感じたのですが、小説家「石原慎太郎」としてなら、なかなか鋭いことをついていると思われるのです。

津波も「想定外」といい、安全神話を100%安心などと信じ込ませて、この天災を何と表すのかを考えると「我欲に対する天罰」と考えることが本当は必要なことではないのかと・・・・。
もっともこれも大反対の意見が来るかもしれません。あまりうかつに書けないのですが・・・。

先日、江戸時代の安政に起った地震と津波と火災は、黒船来航のすぐ後に起ったのです。
日本人もここで反省して、あまり便利さや利益優先で物事を考えて行くと、また違った天災が起こるのではないかと心配されます。慎太郎氏曰く、「アメリカ人の国家としてのアイデンティは自由。フランス人は自由、博愛と平等。日本人は何もない。物欲・・・」確かに、聞いていてあまり良い気はしませんね。
また、出馬しないといった都知事にまた出るというのもどこか我欲がないのか?何故なのか?
ロシアのプーチンの長期指導者に君臨している姿勢を批判したゴルバチョフの姿勢の方が良いと思うが・・・。

さて、今回の天災に対し、西日本の人達も気を引き締め直して、災害ポテンシャルの排除や、災害時の行動作り、訓練などを見直す時が来ていると思います。

前回の東南海地震から150年以上経ちました。関東大震災からもすでに90年近くが経ちます。
どちらも今までの歴史からみて、何時起こっても不思議ではないのです。

鹿島神宮の要石でも大なまずを抑えきれない程、人間の我欲が大きくなってしまったということなのかもしれません。 
 

地震・津波全般 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2011/03/30 19:42
コメント
No title
地震の情報を検索しているうちに、このブログにたどり着き、それ以来拝見させて頂いてます。
過去のブログも読みました。懐かしい思い出がよみがえってきます。もちろん石岡出身です。しかし、町よりかなり離れたところに住んでいましたので、お祭りに参加したこともなく、石岡っことは言えないかもしれません。通ったのは国分尼寺のすぐ近くの小学校です。そのころは、杉並小学校がありませんでした。
幼稚園の頃はまだ、街中を馬が歩いていました。
モリコーでランドセルを買い、コーキで浴衣の帯を買ってもらったのを思い出しました。
記憶とは不思議なものですね。
これからも続けて読まさせて頂きたいと思ってます。石岡ロマンのほうは、以前拝見して、子供の
夏休みの宿題に活用させて頂きました。
有難うございました。
べあべあ様
馬、いましたね。
今の信金のあたりに日通の車庫があり、そこに
荷駄用のお馬さんもいました。
カギヤ楽器まえのT字路の信号待ちの際、ぼとぼと
と馬糞を落としていましたっけ。モリコーもコーキ
も子供にはあこがれの場所でしたね。
そこから70年代半ばまでは石岡も上り坂だったの
かな、と感じます。
総社宮の方の小学校卒業で尼寺近くの中学卒業
です。
No title
行徳様
 馬が町から姿を消したのはいつ頃でしょうか?
 パカパカ、カタカタ、馬の蹄の音と、荷車の車
 輪がのどかに、時のリズムを刻んでいたあの時
 代・・万博の頃には、もう見かけなくなってい たのでしょうね・・・。
 私も中学は国分尼寺の近くです。

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