茨城の難読地名(その39)-水海道

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
水海道 【みつかいどう】 常総市(水海道市)
水海道 【みっかいどう】 結城市(水海道市)
「水海道」を全国地名で調べると、上記以外に岐阜県岐阜市水海道(みずかいどう)があります。
<水海道>【みつかいどう】 常総市
角川日本地名大辞典によると、地名は古くは「水飼戸」(森下観世音縁起)、「御津海道」(相馬日記)とも呼称され、水とのかかわりに由来するとみられる。暦応5年(1341?)の年紀を有する板碑(報国寺)がある。と書かれています。
一方平凡社茨城の地名には、鬼怒川・小貝川に挟まれた沖積低地はアクト(悪土)とよばれる水田地帯で最深低地を八間堀川が南流し、集落は旧河道の自然堤防上に形成されている。とあり、縄文時代の遺跡なども多いと書かれている。
角川の辞典にある「御津海道」という漢字を読み解くと、「御津(みつ)」は官や地頭のために荷財・貨財を積み下ろしする湊(船着き場)のことで、ここにこのような湊があったと考えられます。
「海道(かいどう)」についても「垣内(カイト、カイド)」ではないかとする説があります。
「地名の研究」の中で柳田國男は「垣内」についてかなり詳しくページを割いていますが、なかなか理解し難いです。
「垣内」は、有力者の比護のもとで住民が耕地化した土地や、将来耕地にすることを予定して囲った土地などを指す言葉のようです。まあ、公の許可を得て、一定の地域を囲い、それを耕作する者を住まわせた荘園(カイト集落)といった意味になるようです。
そして、この言葉が地名として「垣内 垣外 垣道 垣戸 海渡 海土 海戸 海道 海登 海洞 貝糸 貝戸 貝内 外津 外道 外戸 外渡 外内 外登 皆戸 皆洞 皆渡 皆津 会所 会津 会道 谷津 谷戸 谷内 開土 開津 開戸 開所 替戸 回津 廻津 廻戸 廻道 街津 ケ市 階津 柿内 街道」などという地名になっているというものです。
柳田國男はこの常総市水海道の地名は、水運の重要な川港で、「御津垣内」ではないかと言っています。
江戸時代より前の新開墾地はほぼすべて垣内といってよく、この地名は全国のすみずみにまで及んでいるそうです。
しかし、そのうちに関東では垣内の慣行はなくなり、カイトの地名も、垣外・開戸・替戸・街道・海渡・海道などさまざまな文字が充てられるようになったというわけです。
しかしこの水海道の地区は鬼怒川と小貝川に挟まれ、何度も洪水が繰り返されてきました。この地形を考えるとこの水という漢字が使われたのも良くわかる気がします。
<水海道>【みっかいどう】 結城市
戦国期には「水皆道」と見える地名です。
鬼怒川の西岸で、すぐ南は筑西市です。
やはり水が多く、湿地帯であったと思われます。
こちらも「垣戸=カイト」が海道に変化したのでしょうか。
また水海道も「みずかいどう」と読んだ時期もあるようですが、今は「みっかいどう」と「つ」は小さくなっています。
千葉県「四街道(よつかいどう)」の名前についても、恐らくこの「カイト」集落から名まえが付いたものと考えた方がよさそうです。
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