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茨城の難読地名(その42)-天宝喜

難読地名42

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

天宝喜 【あまぼうき】 つくば市(旧茎崎町)

角川日本地名大辞典には、天宝喜は稲荷川中流左岸の台地に位置し、縄文時代の天宝喜貝塚・天宝喜西遺跡・C遺跡があるとあり、天宝喜村が江戸期から存在したと書かれているだけで、名前の由来は書かれていない。

一方平凡社の茨城県の地名には、元和年間(1615-24)に創建、正徳元年(1711)再建と伝える厳島神社があり、天宝喜の地名とかかわりを有するといわれる「宝剣記」や弁財天像がある。と書かれている。

では、まずこの神社にかかわる伝説を書いておこう。

 「昔、当地の原野にひとつの塚があり、夜々不思議な紫の光を発しはじめたので、里人が恐る恐る近づき調べたところ、一口の剣を発見した。
里人たちは、これは神様が天から降らせた霊剣に違いあるまいと、「天の宝剣」と呼び祠を建てて納めた。
そして占ったところ、「是正しく弁財天の宝剣なり、ゆめ忽せにすべからず」と占いに出たので、里人達は大いに喜んだという。
ところがある時、一人の雲水がこの里に現れ、里人から宝剣の由来を聞かされた。この雲水が背負っていたのはまさに「弁財天像」であり、その弁才天の右手にはあるはずの宝剣がなかったのだ。
雲水は厳かに「この里こそ弁財天の鎮座すべき宿縁の地なり」といい、その尊像を里人達に託し、何処ともなく立ち去ってしまったという。天より降れる宝剣を得、郷民大いに喜び祀ったということから里の名が天宝喜と呼ばれるようになったという。

さて、この地名、神社の名前の伝説はよくあるパターンであるので、このまま地名になったとは思われない。 地名に佳名(けいな:縁起のよいよい名前)を充てることは江戸時代やその前からもかなり行われてきた。
この「天宝喜」も恐らく似たような名前で呼ばれていた地名にこの佳名が当てられたものだと思うが、そのいきさつは不明だ。

名前の対象となった厳島神社は1615-24年の創建と言われる神社だ。 
あまり大きな神社ではなく、厳島神社と言われるように社殿のまわりはあまりきれいではないが湧水池に囲まれている。
昔は牛久沼が近くまで広がっていたものと思う。江戸時代の初め頃は牛久沼周辺も洪水などで街道なども何度も変更された記録がある。

この地から宝剣が出たというよりは、誰かが持ち込んだものと推察されるが・・・・。

天宝喜村については寛永6年【1629年)に牛久藩領となっときの文書に「天宝喜村」の記述がある。
さて、神社名が先か? それとも村名が先か?


茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/26 06:10
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