茨城の難読地名(その46)-大生、大生郷

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
大生 【おおう】 潮来市
大生郷 【おおのごう】 常総市(旧水海道市)
茨城県には2か所の「大生」があり、読みが少し違います。
<大生【おおう】(潮来市)>
古鹿島などとも言われる「大生(おおう)神社」があり、近くに大生古墳群があります。
この大生古墳群も古代豪族の墳墓と考えられています。
常陸国風土記には、この大生(おおう)の名前の由来を「ヤマトタケル命」が食事をとる儀式を行った場所で、大炊(食事)の名前から大生になったと書かれています。また平安時代に書かれた「和名抄」にも「大生郷(おおうごう)」が書かれています。
大和朝廷が東国に攻め入った時に、古代皇室系氏族の「多氏(おおし、おふし:大氏、飯富氏」が九州または大和地方からやってきて、この地に住みついたとみられていて、この氏族の名前からこの地名になったと考えるのがわかりやすいのではないかと思われます。
<大生郷【おおのごう】(常総市(旧水海道市))>
茨城県には2か所の「大生」があり、読みが少し違います。
ここには菅原道真を祀る「大生郷(おおのごう)天満宮」があり、日本三大天満宮の一つとも言われています。
社伝によれば、菅原道真の三男景行(かげゆき)が、常陸介として常陸国にやってきて、926年に真壁町の白鳥地区に父道真の遺骨を埋葬し(天神塚古墳?)しました。それを3年後の929年に現在の地(飯沼湖畔に浮かぶ島であった)に社殿を建てて、遺骨を移して祀ったといわれています。
いつからこの天満宮が大生郷(おおのごう)と】名前が付けられてきたのかはよくわかりませんが、古く江戸時代には「大生郷村」があり、明治22年の町村合併で、大生郷村、大生郷新田村など5村が合併して、「菅原村」となっています。
この菅原の名前も「菅原道真」からとった名前であることは明らかです。
これまでも、天満宮の名前は「菅原天満宮」などとも呼ばれていたようです。
ただ、元々は常陸国ではなく、下総国で岡田郡に属していたが、延喜式の郷名にこの地に「大生郷(おおのごう)」という名前はみられません。
やはり多氏の住んだ地であったのかどうかも書かれたものは見つかりませんでした。
もう一か所「大生」という地名が
千葉県成田市大生(おおう)
にあります。こちらは潮来の大生と同じく「おおう」と読みますので多氏と関係があるかもわかりませんが、大きな山の峰を意味する大峰(オオオ)から転訛したものともいわれると説明がありました。
他に「大生」地名と読みは以下があります。
茨城県久慈郡大子町大生瀬(おおなませ)
石川県輪島市門前町大生(おはえ)
もう一つ気になる名前に、
茨城県高萩市大能(おおの)
がありますが、こちらも過去には「おおのう」と言っていたようです。
その他「大野郷」という郷名が下記あり、大氏(多氏)との関連があるかもしれません。
1)稲敷市江戸崎あたり、和名抄に信太郡「大野郷」の地名がある
2)古河市(旧総和町)あたりに(下総国下河辺荘)「大野郷」の地名が鎌倉期にある。
3)水戸市の圷大野、中大野、西大野、東大野、下大野町とう地区は鎌倉期には大野郷であり、「大のの郷」と呼ばれた。
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地名も小字名にはとても変わった地名、人の名前などがありますね。ご紹介いただいた「南指原(なじわら)」について知りませんでした。時間があれば調べてみますが、だんだんと調べるのが大変になってきています。
また、最近は人名についてはかなりデータベースが充実したらしく、全国の人数や由来などがどんどんデータとして蓄えられてきているようです。「南指原」さんはほとんどが茨城県で、全国に150人ほどだといいます。
茨城県で多い人名は下記のサイトに一覧表がありました。
http://myoujijiten.web.fc2.com/ibaraki.htm