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茨城の難読地名(その47)-仁連

難読地名47

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

仁連 【にれい】 古河市(旧三和町)

地名の読みは【にれい】だが、近くを流れる川は東仁連川【ひがしにれがわ】、西仁連川【にしにれがわ】であり、江戸時代には日光東街道沿いにあり、仁連(にれ)宿として開けていた。当時は「仁連(にれ)町」とも称されていた。
江戸期の仁連村の読みは【にれむら】であった。

ちかくに弥生・古墳時代の遺跡があり、古代から人が住んでいた場所である。
「和名抄」には郷名としてはみられないが、戦国期(16世紀初め)になり、下総国猿島郡(さしまぐん)に「仁連郷(にれごう)」が存在した。それも最初の頃は「仁礼」と書かれたものが見られ、戦国末期には「仁連」になったようです。

このため、今の住所の読みは古代の「仁礼」が復活したものなのだろうか。
恐らく、長い間「ニレ」とも「ニレイ」ともどちらも読まれてきたように思う。

地名由来としては、「にれ」は,ヌレ(濡れ)の転で湿地,あるいはヌラ(滑)の転でなめらかな地形をさすとも書かれたものがありましたが、これだと「にれ」ならわかりますが、「にれい」という説明には少し不足しているように思われます。

「仁連」「仁礼」という地名を調べると、他に2か所ありました。

 愛知県豊橋市仁連木町 (にれぎちょう)
 長野県須坂市仁礼町 (にれいまち)

この長野県の「仁礼(にれい)」は信州須坂の「仁礼の里」と呼ばれるのどかな田舎にありますが、古くからの遺跡もあり、田んぼで行われる泥んこバレーボール大会などが行われていることで知られています。
また地名の由来は、その昔この場所に「ニレ」の樹林が広がっていたことからその名がつき、中世には「楡井<ニレイ>」と書かれていたといわれています。

愛知県の仁連木町=楡木 でしょうからどちらも

茨城県の仁連も「楡木=ニレのき」が関係していると考えるのが普通の様に思います。

全国の「楡、ニレ」地名を下記します。

栃木県鹿沼市楡木町(にれぎまち)
埼玉県日高市楡木(にれぎ)
新潟県長岡市楡原(にればら)
新潟県妙高市楡島(にれしま)
富山県富山市楡原(にれはら)
岐阜県安八郡輪之内町楡俣(にれまた)
岐阜県安八郡輪之内町楡俣新田(にれまたしんでん)
滋賀県彦根市楡町(にれちょう)
兵庫県豊岡市竹野町二連原(にれんばら)
福岡県北九州市小倉南区吉田にれの木坂(にれのきざか)
熊本県熊本市北区楡木(にれのき)


茨城の難読地名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/07/31 07:54
コメント
No title
おはようございます。
私は2、30代のころ水戸のガソリンスタンドで働いていました。そこのお客様に楡井さんという方がおられました。そのころは特にそういうことに興味がなかったのですが、考えてみると面白いですね。
Troyさま
こんにちは。 コメントありがとうございます。

> お客様に楡井さんという方がおられました。

確かにお名前は地方独特のお名前の人がかなり降りますね。
私など全国にたくさんいる平凡な名前ですのでのでルーツも調べようがありませんが、田舎(新潟)の本家では何百年も続く家系だといって家系図などを作ったりしていたようですが、私も、私の父親も長男でもないのでまったく興味はありませんでした。
次男以降は全国に散らばっているのでしょうね。

最近人名の登録名簿が一般に入手できるようになったのかもしれませんが、お名前の全国の人数などが一目でわかるようになったようです。昔は基本は地域名から人名が生まれたのだと思いますので、そんな人名ルーツから地名も何かわかるのかもしれませんね。でも基本的には判らないものがほとんどです。

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