茨城の難読地名(その52)-土師

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
土師 【はじ】 笠間市(旧岩間町)
下土師 【しもはじ】 茨城町
土師(はじ)については、土師器などと昔の土器などに時々使われていますので、それほどの難読漢字とはいえないかもしれません。
茨城県に残された2つの土師地名は涸沼川沿いにあり、上流側が笠間市「土師」で下流側が「下土師」です。
平凡社の茨城の地名には、笠間市の土師地区には六万部・東ヶ峰に縄文遺跡、鍛冶ヶ谷には古墳時代から平安時代の製鉄遺跡があり、高麗神社古墳群など九つの円墳(古墳)があると書かれている。
下土師について、角川の日本の地名大辞典では、地名は古代土師部集団の居住地であったことに由来するとあり、地内から「土師神主」と墨書された土師器が出土。縄文時代の下土師遺跡、小山台古墳群などがある。と書かれています。
また、室町時代(1435年の文書)には「下土師郷」という郷名があったことがわかっています。
基本的には土師氏の集団が笠間市の「土師」あたりに住んでいて、こちらの下流側にもその同じような集団が住んでいたと考えられます。
土師氏は古代の古墳時代にその造営や埴輪の制作、神事儀礼などの儀式を執り行った豪族集団で、野見宿祢を祖先としていると考えられています。
下土師の少し南には埴輪を制作していた(焼いていた)釜などがある「小幡北山埴輪製作遺跡」があります。
埴輪を作る職人だったので「はにし」と呼んでいたようですが、これに「土師」と漢字を当て、やがて「はじ」と読むようになった。
しかし、地域によっては「はぜ」になったり、また人の名前などでは「どし」などと読む人も現れたといったところでしょうか。
全国の「土師」地名を調べてみました。すると、「ハジ」と読むところと「ハゼ」と読む所がきれいに2つに分かれました。
「ハゼ」地名は三重・京都・大阪・兵庫という旧畿内(五畿内:山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国)地域です。
それ以外の地域は「ハジ」だけでした。
<土師=ハジ>
茨城県笠間市土師 (はじ)
茨城県東茨城郡茨城町下土師 (しもはじ)
鳥取県八頭郡八頭町土師百井 (はじももい)
岡山県岡山市北区建部町土師方 (はじかた)
岡山県瀬戸内市長船町土師 (はじ)
広島県安芸高田市八千代町土師 (はじ)
福岡県嘉穂郡桂川町土師 (はじ)
長崎県諫早市土師野尾町 (はじのおまち)
大分県豊後大野市大野町中土師 (なかはじ)
<土師=ハゼ>
三重県鈴鹿市土師町 (はぜちょう)
京都府福知山市土師 (はぜ)
京都府福知山市土師 (はぜ)
大阪府堺市中区土師町 (はぜちょう)
兵庫県姫路市香寺町土師 (はぜ)
兵庫県たつの市揖西町土師 (はぜ)
何故こんなきれいに分かれるのか不思議です。
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