茨城の難読地名(その62)-土木内

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
上土木内町 【かみどぎうちちょう】 常陸太田市
下土木内町 【しもどぎうちちょう】 日立市
土木内村(どぎうちむら)は江戸時代から久慈川の北側(左岸)にあった。
元は1村であったが、川の上流側が上土木内町(かみどぎうちちょう)で常陸太田市、下流側が下土木内町(しもどぎうちちょう)で日立市に分かれた。
平凡社の茨城の地名によると、名前の由来については伝承として次の2つの話が伝わっているという。
1)源義家(八幡太郎)が奥州出陣のときに、久慈川を渡るのに難渋して、その一帯の樹木を伐採して土木工事をしたことから地名と成った。
2)南北朝で争った1336年に北畠顕家(あきいえ:畠親房の長男)軍が義良(後村上天皇)親王を奉じて鎌倉に向かうとき、村人の助けを借りて土木工事をしたことから名づけられた。
ともに、名前に「土木」の漢字が使われているので「土木工事」が名前の由来であるというが、各地にある八幡太郎や南北朝の伝承話をつけての話には信ぴょう性は少ない。
土木内村の名前は江戸時代初期の1635年の水戸領郷高帳に記載があるのでその前から存在しているという。
この村の場所は久慈川に常陸太田の方から流れてくる里川が合流する地点に近い。
昔の縄文人、アイヌ語族は川を遡って、このように大きな川に里川が合流するのではなく、分離してその先に山があるという考えだったという。
そして川は「ベツ(別)」または「ナイ(内)」とあり、比較的小さな川や沢は「内(ナイ)」の方使っていたという。
土木内=ドギウチとはいったいどのようなことが発祥なのだろうか?
郵便番号簿で「土木」と書く地名を探してみたがヒットしなかった。
では土・木内とうい区分ならどうか? 土=ド=トウ なら場所や畑などを指す。
木内は千葉県の香取に木内(きのうち)というかなり古い集落がある。木の内=紀の内 かもしれない。
しかし、地図を見ているとこの場所は久慈川や里川に関連する知名なように感じる。
すると 内=ウチ=ナイ=川、沢という古代語(アイヌ語)と考えることもできそうだ。
すると土木=ドキ=土器などが語源にかかわっているかもしれない。
またはドギメキなどの例にあるように川の流れの音が語源とも考えられる。
古代の人たちが久慈川をさかのぼってきて、大子の方に行く久慈川と常陸太田や里見の方に行く里川に分かれる場所にどのような意味合いの名前を考えて呼んだのかは今となっては想像するのみであるが、土木工事とはおそらく関係しないであろう。
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