茨城の難読地名(その65)-妻の付く地名

シリーズ1回目からは ⇒ こちら
上妻 【かみつま】 下妻市
下妻 【しもつま】 下妻市
中妻 【なかつま】 常総市(旧水海道市)
三妻 【みつま】 常総市(旧水海道市)
中妻 【なかづま】 北茨城市
中妻 【なかつま】 水戸市(旧内原町)
中妻 【なかつま】 城里町(旧常北町)
中妻 【なかつま】 取手市小文間
北中妻 【きたなかづま】 つくば市(旧谷田部町)
南中妻 【みなみなかづま】 つくば市(旧谷田部町)
小妻 【こづま】 常陸太田市(旧里美村)
吾妻 【あづま】 つくば市(旧桜村)
妻木 【さいき】 つくば市(旧桜村)
川妻 【かわつま】 五霞町
今回は難読漢字ではないけれど、茨城県には驚くほど「妻」と付く地名が多い。
特に最初に挙げた「上妻」から「三妻」までの4か所は鬼怒川と小貝川に挟まれた一帯に並ぶように存在している。
ここは2015年に鬼怒川の堤防決壊で大きな水害被害をもたらせた場所でもある。
「つま」という言葉をどのように解釈すれば良いのだろうか。
古語で「つま」は「妻」「夫」どちらもさす言葉として使われるし、切妻屋根などに使われる「つま」は「端」のことを表す。
また「つ=津」は舟がつく湊(みなと)のことをさし、古くからの地名にも多く使われている。また、人が集まる場所という意味合いもあるという。
「ま」は「谷」を指す言葉であったり、「~の」などという助詞的な言葉としても使われる。ここでは単なる場所のことを呼んでいるのかもしれない。
これなら湊(舟が着く)の場所なのかもしれない。
奈良時代初期に高橋虫麻呂が筑波山に登って下妻の方を見下ろしたら大きな湖に白波が立っているのが見えた。
そして「新治の 鳥羽の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ」と詠んだ。
この「鳥羽の淡海」は、現在の「騰波ノ江(とばのえ)駅」のあたりにあったといわれる、かなり大きな湖沼だという。
そして下妻(しもつま、しもづま)はこの南岸にあり、湖沼に面した場所で、縄文早期から古墳時代の遺跡が多く残されており、古くから人が住んで開いたことが知られている。
大きな都市である下妻地名の語源については、角川の日本の地名大辞典に、いくつかの説が書かれている。
1)郡の下方にて詰まりの地(郡郷考)
2)ツマは端にて、郡の下方の端の意(新編常陸)
3)「下ノ津」という漁場の北にある瀬上ヶ原に応徳3年(1087年)常陸大掾平清幹(吉田清幹)が城を築き、下ノ津に近いために「下津間城」と名付け、息男盛幹(なりもと:鹿島三郎)の居城としたため(常総誌略)
4)騰波ノ江沿岸のシモ(南部)・ツ(の=助詞)・マ(港の古語)の意(下妻市史)
との考え方が書かれている。基本的には4案に近いと感じているが、「ツ」は「の」で、「マ」が「港」 というのは逆のように思う。
ツ=津=湊 で マ=~の のことだろう。
さて、では上妻、中妻、三妻 などはどうであろう。
上妻だが、この湖沼の北側にあり、現在は住所地名としては残っていないが、小学校名などに使われている。
しかし、下妻があったので後から「上妻村」という地名にしたと思われ、明治22年に近隣の12ケ村が合併してできた村である。
また三妻村についても明治22年に三坂村と中妻村が合併したときにそれぞれの村の頭文字をとってつけられた名前である。
妻が三人もいたら大変だ。
「中妻」については茨城県だけでもかなりの場所に存在する。
妻の付く地名を角川の地名辞典から内容を抜粋してみよう。
中妻(常総市・水海道)・・・江戸時代から見られる村名
中妻(北茨城市)・・・花園川の下流右岸。1595年の検地目録に記載がある
中妻(水戸市・内原町)・・・明治22年に8ケ村が合併してできた村名だが、江戸時代に「中妻郷」が存在した。
中妻(城里町・常北町)・・・中妻三十三郷と呼ばれ、室町時代から地名は存在していた。
中妻(取手市小文間)・・・小貝川と利根川の合流点付近にあり、貝塚や縄文時代の遺跡が見つかっている。
北・南中妻(つくば市・谷田部町)・・・小野川右岸の筑波台地上にある。江戸時代から北中妻村、南中妻村としてあった。
小妻(常陸太田市・里美村)・・・里川上流の段丘上に開ける。古くから薪炭(まきずみ)を利用して鍬(スキ)先を生産していた。
吾妻(つくば市・桜村)・・・昭和52年に誕生した町名
妻木(サイキ:つくば市・桜村)・・・花室川の上流右岸に位置し、江戸期から見られる村名だが、「才木村」とも書いたという。
どうも妻の漢字は後から当てたものだろう。
川妻(五霞町)・・・利根川右岸にあり、地名は川沿いにあり、西北端が三角形で、つま形をしていることによるという。鎌倉時代に「河妻郷」(下総国)が存在した。しかし洪水の多発地域で江戸期には権現堂川の決壊が17回あったという。
「妻」地名は比較的新しいものもあるが、古くからある場所のほとんどが川沿いの台地が多く、また洪水被害も多発している場所が多い。やはり「妻=つま=ぬま=沼」というような構図とも考えられそうだ。
アイヌ語で沼のことは「ト、トー」とか「トマム」というようだが、トマムは湿地帯で、トーは湖などに使われる。
また日本語となっている「沼=ヌマ」もどうも古代に新羅国から伝わってきたようでもある。
古事記(712年)に「新羅国に一つの沼(ぬま)有り、名を阿具奴摩(アグヌマ)と謂ふ」と出てくるという。
また万葉集の歌にも「奴麻=ヌマ」が出ている。
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