常陸国風土記と地名(2)-新治

常陸国風土記の「新治郡」に 郡衙は旧協和町あたり。(現筑西市古郡〈ふるごおり〉)
新治(にいはり):
新治の国造の祖先となったひならすの命を遣はした。
ひならすの命がこの地で新しい井戸を掘ると、清き水が流れ出た。新しい井を治(は)ったことから、新治の名がついた。
(これは常陸の名前の一説としても書かれている)
笠間(かさま):
郡家より東五十里のところに、笠間の村がある。
葦穂山(あしほやま):
郡家より笠間に行くときに越える。 昔は「小初瀬山(おはっせやま)」と言った。
・・・平安時代の10世紀初めに醍醐天皇が足尾神社を置き、足尾山に変更された。
新治の名前の読みについても「ニイハリ」「ニイバリ」の2つがある。
平安時代の辞書『和名類聚抄』には「爾比波里(にひはり)」とあり、
『古事記』にある倭建命(やまとたけるのみこと)の歌に邇比婆利(にひばり)とある。
・・・・新治(にひばり)筑波(つくは)を過ぎて幾夜か寝つる
(原文:邇比婆理 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流)
参考:
茨城県筑西市新治 にいはり
茨城県かすみがうら市新治 にいはり
神奈川県横浜市緑区新治町 にいはるちょう
滋賀県甲賀市甲南町新治 しんじ
京都府京丹後市峰山町新治 にいばり
福岡県うきは市吉井町新治 にいはる
大分県日田市新治町 にいばるまち
群馬県には新治(ニイハル)村(現 みなかみ町)があった
古代の新治郡と現在の新治地名には場所がかなり移り変わっています。
それについては7年ほど前に書いた記事(茨城の県名(5)-地名の変化:⇒ こちら)を参照ください。
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