2つの素鵞神社
昨日、霞ケ浦大橋ができる前にあった渡し船の話を書いた。
これは行方市(旧玉造町)浜とかすみがうら市(旧出島村)柏崎を結んでいた。

この2つの桟橋位置から道をまっすぐに行った突き当たりにそれぞれ素鵞神社があります。
しかし神社庁のデータベースでの読みは 柏崎の素鵞神社 は「すがじんじゃ」 浜の素鵞神社 は「そがじんじゃ」と読みます。

何故同じ名前の神社なのか少し気になりますね。
そこで両方を訪ねてみて感想などを書いておきましょう。
実は柏崎の素鵞神社は数年前にも調べて書いたことがあります。
記事は: 出島散歩 ⇒ こちら
柏崎素鵞神社の絵馬 ⇒ こちら
柏崎素鷲神社(2) ⇒ こちら
それではそれぞれを見てみましょう。結構大きな神社でした。
昔はもっとこの地の鎮守様として中心的な神社であったと考えられます。
1、かすみがうら市 柏崎素鵞(すが)神社

桟橋から少し横の道をまっすぐ言った突き当たりに鎮座しています。
しかし記録によれば神社はもう少し高台にあったことがこの神社に奉納されている額画で知ることが出来ます。

拝殿裏にある本殿はきれいな彩色が施されていました。
本殿横には「稲荷神社」が並んでいました。

境内の大きな木の根の間に祭られた祠は「道祖神」の文字が読めます。
2、行方市 浜素鵞(そが)神社
こちらも地域では比較的大きな神社です。

鳥居をくぐった先に上に昇る階段があります。

山の中腹といった所に拝殿があります。
境内は少し傾斜していて山の斜面がまだ残っていて、丸い物を落としたりしたら石段下の鳥居辺りまで転がってしまいそうです。

こちらが本殿です。

更に境内から先に山を上る道がありその道端に置かれた祠です。
3、神社の奉納額画
柏崎の素鵞神社の奉納額画については以前のブログで書きましたが、今一度ここに紹介させていただきます。
以前のブログでは「素鵞神社」を「素鷲神社」などと間違ってきていました。
ソガ神社、スガ神社のガは「ワシ」ではなく「ガチョウのガ」でしたね。
阿波からやってきた天日鷲命(あまのひわしのみこと)の鷲だとばかり思い込んでいたのですから困ったものです。
どうもそれは間違いで、出雲系ではないかということをいまさらながら知ることに成りました。これは次に述べたいと思います。
<柏崎素鵞神社の奉納額画>

これはとても興味深い画なのです。
この絵が奉納されたのは明治28年10月です。当時の風物描写にとても面白いものがあります。
1)当時この神社が今の位置ではなくてもっと高い山の上の方にあった様子がわかります。
2)霞ヶ浦が見下ろされ、そこに高瀬舟や外輪船(銚子丸)が描かれています。
3)港からこの神社に上る道には祭りの行列が描かれています。そしてこのお祭りは祇園祭でしょう。
4)柏崎集落が賑わっていた様子が描かれています。
この奉納額(絵馬)はこの素鷲神社の竹切り祇園の祭事を丹念に描写したものなのです。
当時の様子が目に浮かぶようでとても興味深いですね。
<浜素鵞神社の奉納額画>
拝殿の中の正面に飾られていた奉納額画ですが、隙間から取らせていただいたのであまりはっきり撮れていません。

さて、素鵞神社、須賀神社とは一体どういう神社でしょうか。
祭神はほとんどのところが「 素戔嗚尊=スサノオノミコト」です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟でヤマタノオロチを退治した伝説でよく知られていますね。
妻は「奇稲田姫(くしなだひめ)」です。
この素鵞神社、須賀神社はほとんどの所が江戸時代には「天王さま」「天王社」と呼ばれていました。
祭神はインドの祇園精舎の守護神と言われる「牛頭天王」です。
この天王社の総本社は三重県津市にある「津島神社」です。
津島の名前も恐らく「対馬」から来ていると思われますが、朝鮮半島から対馬を通って渡って来た神、仏で、神仏が合わさった(習合した)江戸時代までは寺としてみなされてきました。
しかし、神・仏の分離が叫ばれ、天王社の名前はほとんど消えてしまいました。
そして誕生したのが「素鵞神社」、「須賀神社」であり、また同じ祇園を祀っていた「八坂神社」などと名前が変わり、祭神も牛頭天王から「スナノオ」や「クシナダヒメ」などに変わっていきました。
私は今まで明治はじめの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がその端を発したのだと思っていました。
しかし、どうも水戸藩ではもう少し早い時期にこの運動があったようです。
第9代水戸藩の藩主、徳川斉昭(とくがわ なりあき)の天保11、12年頃にこの柏崎、浜などの天王社が「素鵞神社」に代わって言ったようです。水戸藩では黄門様の徳川光圀が「義公」、この斉昭が「烈公」と呼ばれて特別に親しみを込めて呼ばれています。
大きな神社では旧小川町(小美玉市)の素鵞神社がありますが、ここも旧水戸藩です。
茨城県の素鵞神社、須賀神社を神社庁のHPから拾ってみました。
<素鵞神社=そがじんじゃ>
素鵞神社 そがじんじゃ 常陸太田市里川町524番地
駒形素鵞神社 こまがたそがじんじゃ 常陸大宮市山方741番地
素鵞神社 そがじんじゃ 常陸大宮市諸沢1264番地
素鵞神社 そがじんじゃ 那珂市瓜連1276番地
新宮素鵞神社 しんぐうそがじんじゃ ひたちなか市三反田2975番地
素鵞神社 そがじんじゃ 水戸市上河内町547番地
素鵞神社 そがじんじゃ 水戸市大串町137番地
素鵞神社 そがじんじゃ 東茨城郡茨城町越安938番地
素鵞神社 そがじんじゃ 小美玉市小川1658番地
素鵞神社 そがじんじゃ 行方市浜723番地
素鵞神社 そがじんじゃ 潮来市上戸31番地
素鵞熊野神社 そがくまのじんじゃ 潮来市潮来1337番地
<素鵞神社=すがじんじゃ>
素鵞神社 すがじんじゃ 久慈郡大子町田野沢570番地
素鵞神社 すがじんじゃ ひたちなか市足崎1766番地
素鵞神社 すがじんじゃ かすみがうら市柏崎1590番地
<須賀神社=すがじんじゃ>
須賀神社 すがじんじゃ 水戸市鯉渕町4705番地1
須賀神社 すがじんじゃ 東茨城郡大洗町永町磯鼻918番地
須賀神社 すがじんじゃ 小美玉市下玉里2284番地
健田須賀神社 たけだすがじんじゃ 結城市結城195番地
須賀神社 すがじんじゃ 石岡市三村1880番地
須賀神社 すがじんじゃ かすみがうら市中志筑1277番地
須賀神社 すがじんじゃ かすみがうら市上稲吉22番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市古渡250番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市信太古渡515番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市伊佐部1234番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市阿波崎1763番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市下太田1番地
ソガ、スガなどと発音されますが、その正体は何なのでしょうか。
「須賀」は川の土砂などが堆積された「洲」の場所が発祥の起源などとも考えられていますが、もう少し別な見方をすれば「蘇我氏」の存在が影響しているとも考えられそうです。
出雲大社の本殿真後ろに素戔嗚神(すさのおのかみ)を祀る社があり、これを素鵞社(そがのやしろ)というそうです。
また「素鵞社」の名前は、素戔嗚神の最初の宮である「須賀」に由来するといわれているそうで、須賀=素鵞となったのでしょう。
また飛鳥(あすか=「ア+スカ(須賀)」)であり、荒川区にある素盞雄(スサノオ)神社では、スサノオと共に「アスカ大神」が祭られています。
どうですかなかなか興味深いですね。
藤原氏から嫌われた「蘇我氏」との関係ももう少し調べれば意外な姿が見えてくるかもしれません。
江戸時代の愛宕山天狗の話などにはよく「津島の祇園」を見に行く話がでてきます。
天狗が親や子供に目隠しをして空を飛んであっという間に華やかな祇園祭を見せに連れて行くのです。
津島の祇園祭では大小色とりどりの船が海に浮かびにぎやかな祭りが行われていたようです。
今でも津島神社で祭りは継承されているのでしょうが、昔はもっと華やかな祭りとして全国に知れ渡っていたのでしょう。
石岡地区でも三村の須賀神社の祭り、柿岡の八坂神社の祭り、皆これらは天王社から始まっている祇園祭りです。
石岡のお祭りも元を辿れば中町にあった天王社(明治後に八坂神社となり総社宮に合祀)の祭りを復活させた新しい祇園祭です。
行方市の「天王崎」にある八坂神社も元は当然天王社です。
でも岬には地名で残されましたが神社名は変わり、今ではあまり知られなくなっているようです。
これは行方市(旧玉造町)浜とかすみがうら市(旧出島村)柏崎を結んでいた。

この2つの桟橋位置から道をまっすぐに行った突き当たりにそれぞれ素鵞神社があります。
しかし神社庁のデータベースでの読みは 柏崎の素鵞神社 は「すがじんじゃ」 浜の素鵞神社 は「そがじんじゃ」と読みます。


何故同じ名前の神社なのか少し気になりますね。
そこで両方を訪ねてみて感想などを書いておきましょう。
実は柏崎の素鵞神社は数年前にも調べて書いたことがあります。
記事は: 出島散歩 ⇒ こちら
柏崎素鵞神社の絵馬 ⇒ こちら
柏崎素鷲神社(2) ⇒ こちら
それではそれぞれを見てみましょう。結構大きな神社でした。
昔はもっとこの地の鎮守様として中心的な神社であったと考えられます。
1、かすみがうら市 柏崎素鵞(すが)神社

桟橋から少し横の道をまっすぐ言った突き当たりに鎮座しています。
しかし記録によれば神社はもう少し高台にあったことがこの神社に奉納されている額画で知ることが出来ます。

拝殿裏にある本殿はきれいな彩色が施されていました。
本殿横には「稲荷神社」が並んでいました。

境内の大きな木の根の間に祭られた祠は「道祖神」の文字が読めます。
2、行方市 浜素鵞(そが)神社
こちらも地域では比較的大きな神社です。

鳥居をくぐった先に上に昇る階段があります。

山の中腹といった所に拝殿があります。
境内は少し傾斜していて山の斜面がまだ残っていて、丸い物を落としたりしたら石段下の鳥居辺りまで転がってしまいそうです。

こちらが本殿です。

更に境内から先に山を上る道がありその道端に置かれた祠です。
3、神社の奉納額画
柏崎の素鵞神社の奉納額画については以前のブログで書きましたが、今一度ここに紹介させていただきます。
以前のブログでは「素鵞神社」を「素鷲神社」などと間違ってきていました。
ソガ神社、スガ神社のガは「ワシ」ではなく「ガチョウのガ」でしたね。
阿波からやってきた天日鷲命(あまのひわしのみこと)の鷲だとばかり思い込んでいたのですから困ったものです。
どうもそれは間違いで、出雲系ではないかということをいまさらながら知ることに成りました。これは次に述べたいと思います。
<柏崎素鵞神社の奉納額画>

これはとても興味深い画なのです。
この絵が奉納されたのは明治28年10月です。当時の風物描写にとても面白いものがあります。
1)当時この神社が今の位置ではなくてもっと高い山の上の方にあった様子がわかります。
2)霞ヶ浦が見下ろされ、そこに高瀬舟や外輪船(銚子丸)が描かれています。
3)港からこの神社に上る道には祭りの行列が描かれています。そしてこのお祭りは祇園祭でしょう。
4)柏崎集落が賑わっていた様子が描かれています。
この奉納額(絵馬)はこの素鷲神社の竹切り祇園の祭事を丹念に描写したものなのです。
当時の様子が目に浮かぶようでとても興味深いですね。
<浜素鵞神社の奉納額画>
拝殿の中の正面に飾られていた奉納額画ですが、隙間から取らせていただいたのであまりはっきり撮れていません。

さて、素鵞神社、須賀神社とは一体どういう神社でしょうか。
祭神はほとんどのところが「 素戔嗚尊=スサノオノミコト」です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟でヤマタノオロチを退治した伝説でよく知られていますね。
妻は「奇稲田姫(くしなだひめ)」です。
この素鵞神社、須賀神社はほとんどの所が江戸時代には「天王さま」「天王社」と呼ばれていました。
祭神はインドの祇園精舎の守護神と言われる「牛頭天王」です。
この天王社の総本社は三重県津市にある「津島神社」です。
津島の名前も恐らく「対馬」から来ていると思われますが、朝鮮半島から対馬を通って渡って来た神、仏で、神仏が合わさった(習合した)江戸時代までは寺としてみなされてきました。
しかし、神・仏の分離が叫ばれ、天王社の名前はほとんど消えてしまいました。
そして誕生したのが「素鵞神社」、「須賀神社」であり、また同じ祇園を祀っていた「八坂神社」などと名前が変わり、祭神も牛頭天王から「スナノオ」や「クシナダヒメ」などに変わっていきました。
私は今まで明治はじめの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がその端を発したのだと思っていました。
しかし、どうも水戸藩ではもう少し早い時期にこの運動があったようです。
第9代水戸藩の藩主、徳川斉昭(とくがわ なりあき)の天保11、12年頃にこの柏崎、浜などの天王社が「素鵞神社」に代わって言ったようです。水戸藩では黄門様の徳川光圀が「義公」、この斉昭が「烈公」と呼ばれて特別に親しみを込めて呼ばれています。
大きな神社では旧小川町(小美玉市)の素鵞神社がありますが、ここも旧水戸藩です。
茨城県の素鵞神社、須賀神社を神社庁のHPから拾ってみました。
<素鵞神社=そがじんじゃ>
素鵞神社 そがじんじゃ 常陸太田市里川町524番地
駒形素鵞神社 こまがたそがじんじゃ 常陸大宮市山方741番地
素鵞神社 そがじんじゃ 常陸大宮市諸沢1264番地
素鵞神社 そがじんじゃ 那珂市瓜連1276番地
新宮素鵞神社 しんぐうそがじんじゃ ひたちなか市三反田2975番地
素鵞神社 そがじんじゃ 水戸市上河内町547番地
素鵞神社 そがじんじゃ 水戸市大串町137番地
素鵞神社 そがじんじゃ 東茨城郡茨城町越安938番地
素鵞神社 そがじんじゃ 小美玉市小川1658番地
素鵞神社 そがじんじゃ 行方市浜723番地
素鵞神社 そがじんじゃ 潮来市上戸31番地
素鵞熊野神社 そがくまのじんじゃ 潮来市潮来1337番地
<素鵞神社=すがじんじゃ>
素鵞神社 すがじんじゃ 久慈郡大子町田野沢570番地
素鵞神社 すがじんじゃ ひたちなか市足崎1766番地
素鵞神社 すがじんじゃ かすみがうら市柏崎1590番地
<須賀神社=すがじんじゃ>
須賀神社 すがじんじゃ 水戸市鯉渕町4705番地1
須賀神社 すがじんじゃ 東茨城郡大洗町永町磯鼻918番地
須賀神社 すがじんじゃ 小美玉市下玉里2284番地
健田須賀神社 たけだすがじんじゃ 結城市結城195番地
須賀神社 すがじんじゃ 石岡市三村1880番地
須賀神社 すがじんじゃ かすみがうら市中志筑1277番地
須賀神社 すがじんじゃ かすみがうら市上稲吉22番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市古渡250番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市信太古渡515番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市伊佐部1234番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市阿波崎1763番地
須賀神社 すがじんじゃ 稲敷市下太田1番地
ソガ、スガなどと発音されますが、その正体は何なのでしょうか。
「須賀」は川の土砂などが堆積された「洲」の場所が発祥の起源などとも考えられていますが、もう少し別な見方をすれば「蘇我氏」の存在が影響しているとも考えられそうです。
出雲大社の本殿真後ろに素戔嗚神(すさのおのかみ)を祀る社があり、これを素鵞社(そがのやしろ)というそうです。
また「素鵞社」の名前は、素戔嗚神の最初の宮である「須賀」に由来するといわれているそうで、須賀=素鵞となったのでしょう。
また飛鳥(あすか=「ア+スカ(須賀)」)であり、荒川区にある素盞雄(スサノオ)神社では、スサノオと共に「アスカ大神」が祭られています。
どうですかなかなか興味深いですね。
藤原氏から嫌われた「蘇我氏」との関係ももう少し調べれば意外な姿が見えてくるかもしれません。
江戸時代の愛宕山天狗の話などにはよく「津島の祇園」を見に行く話がでてきます。
天狗が親や子供に目隠しをして空を飛んであっという間に華やかな祇園祭を見せに連れて行くのです。
津島の祇園祭では大小色とりどりの船が海に浮かびにぎやかな祭りが行われていたようです。
今でも津島神社で祭りは継承されているのでしょうが、昔はもっと華やかな祭りとして全国に知れ渡っていたのでしょう。
石岡地区でも三村の須賀神社の祭り、柿岡の八坂神社の祭り、皆これらは天王社から始まっている祇園祭りです。
石岡のお祭りも元を辿れば中町にあった天王社(明治後に八坂神社となり総社宮に合祀)の祭りを復活させた新しい祇園祭です。
行方市の「天王崎」にある八坂神社も元は当然天王社です。
でも岬には地名で残されましたが神社名は変わり、今ではあまり知られなくなっているようです。
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