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常陸国風土記と地名(10)-多珂

風土記地名10

多珂(たか)国の由来: 建御狭日命(多珂の国造:出雲族)が国を巡り山が険しく高いので「多珂(たか)国」と名づけた。

(郡の境界は南を久慈郡の助川(現日立市助川)、北を陸奥国石城郡苦麻之村(現福島県大熊町)までとした。
しかし、この範囲は広すぎるために7世紀前半の孝徳天皇の御世に、多珂(たか)と石城(いわき)の二つの郡に分割され、石城郡は陸奥国になった。)

飽田の村:
 倭建の天皇(ヤマトタケル)が東国を巡ったときにこの野で宿をとった。
野には鹿が群れ、海には八尺の鰒(あわび)がいて、鯉もいる。天皇は野に出て、妻の橘皇后は海に出て、野と海で獲物の幸を競うことになった。野の狩りは何も獲れなかったが、海では大漁だったため、天皇は「野のものは得ずとも、海のものは飽きるほどだ」といったのでこの地を後に「飽田村」と名づけられた。
・・・現日立市相田町あたり

仏浜:
 海辺の岩壁に観世音菩薩の像を作ったため、ここを「仏浜」という。
・・・現日立市田尻町度志前の「佛ヶ浜」 この佛ヶ浜の名前は風土記の内容とここに度志観音があるために、後で名付けられたもので、小木津浜の磨崖仏などの地もこの候補に挙がっている。

藻嶋(めじま):
 倭建の天皇(ヤマトタケル)が船で島の磯廻をした時に、「種々の海藻が多いところだ」といったので「藻嶋」の名が付いた。
・・・現日立市十王町伊師付近

ここには「藻嶋の駅」があり、東南の浜に常陸国では最も美しい玉のような碁石がある。
 ・藻嶋の駅 ・・・現日立市十王町伊師の愛宕神社あたり
 ・碁石の取れる浜 ・・・現日立市小貝浜(川尻海岸)

 (常陸国風土記と地名シリーズは今回で終わりです)


常陸国風土記と地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/09/19 05:26
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