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石岡のおまつりは祇園祭りか?

 今年も9月15日から今日17日まで石岡のおまつりが行われている。

最近この祭りの紹介が少し変わってきた。
祭の始まりは江戸時代後期で総社宮の祭りとして奉納相撲が始まりで、次第に今の形の祭りが加わったと・・・・。

でもこの祭りは何なのかを考えてみたい。

街中で繰り広げられる巨大な山車にはそれぞれ大きな人形が飾られ、山車の舞台でお囃子に合わせてキツネ(新馬)やおかめ・ひょっとこなどの踊りが主体である。

これは江戸三大祭りと言われる神田祭、山王祭(日枝神社)、深川八幡の深川祭、それに浅草の三社祭などと同一の祇園祭と言ってよいのではないだろうか。

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中町通りにはたくさんの屋台と人波が。

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山車の上にはそれぞれ東京の人形師などから購入した大きな武者人形などが置かれています。
高い電線などをくぐるときはハンドルを回して人形を下に降ろします。

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幌獅子の先頭には大きな獅子頭があり、獅子舞をおどりながら進行します。
この獅子頭は大きなものは皆30kgほどもあり、若い人でも5m位踊ると交代です。
重いほど何か価値があるものと勘違いし、踊りを忘れたカナリアのようです。

仏像も平安時代後期に定朝が生み出した寄木造りで中繰りして重量を軽くする技法が生まれました。
これが鎌倉時代に運慶・快慶などのより花開いたのです。

寄木の獅子頭をどこかで始めませんか? そして昔の正月風景の獅子舞を復活させてほしいものです。

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太鼓と鉦のリズムはあまり印象に残らないですね・あまり単調すぎるのでしょう。
芸術性がなければ生き残れないかもしれません。

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駅前の御幸通りにも山車が集結してきました。
これだけの山車の数がある祭りは珍しいと言えます。
佐原の祭りは夏と秋に分かれていますし、今ではこうして勢揃いできる場所もありません。

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江戸の祭りは幕府の命令で簡素化が行われ、また明治の都電などの整備により山車の運行ができなくなり、ほとんどが山車祭から神輿を担ぐ祭りに変わっていきました。

その江戸の山車造りや人形師たちは江戸からこれらの物が無くなったために、周辺の徳川幕府に近い年にこれらの山車や人形を払い下げたり、新たに製作していたものを地方から買い付けに来てこれが地方の祭りに取り入れられました。

佐原、川越、石岡がそのよい例でしょう。

祇園祭りは八坂神社や山王社(牛頭天王)で行われてきたお祭りです。
牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神です。
日本の神はスサノウノミコトと同一視されています。

石岡にも中町に牛頭天王社があり祭礼がおこなわれてきました。
明治の廃仏毀釈で八坂神社になり、その後総社宮に合祀されました。

ですから総社宮の祭礼とは本来別物です。
猿田彦などの神楽の要素や供奉行列などを要素を加えて総社宮の祭りとして明治の後半に始まったものですので、世界遺産に登録する運動をするならば、これらの文化的な意味合いもしっかりと検証していきたいものです。

まあ祇園祭は多くの都市で庶民の村祭りとして発達してきたものです。

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この子供たちも年に1回きれいな祭り衣装に化粧をして参加するのが楽しみなのでしょう。
これが祭り継続のDNAとなっていくのでしょうね。


石岡のおまつり | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/09/17 17:31
コメント
No title
佐原、川越、石岡などの祇園祭は、徳川幕府の江戸での簡素化令や明治時代の路面の整理から来ているとは、おもしろいなとおもいました。でも、こういう伝統は残していくべきかと思います。お囃子も、京都から学ぶとか、いろいろ手がありそうですね。
kincyanさま
 関東三大祭などといっていますが、祭りの意味合いも何もわかっていないようです。
楽しければよいではこれから生き残れませんし、活性化という点でもジリ貧でしょう。
江戸の古山車祭の地方への移転と考えています。
東京が路面電車が走り始めて山車の運行ができなくなり、神輿中心に変わったのです。
ですからこれらの地方もお金があったところが買い付けたといったところでしょう。

今ではそれが良かったのかどうかも含め祭りの形も変えていかないと発展しないと考えています。
でも祭りで子供時代から過ごした人たちは「おらが祭り」なのです。
それでいて市にもっと予算を出してくれと泣きつき、神社はうまく利用して神社色が強まっています。

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