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古東海道

 私が「1300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>」というホームページを立ち上げるきっかけとなったのが、この古東海道の終点が「石岡」(常陸国府=常陸府中)であると知ったことでした。
そしてこの事を、友人たちに話すとほとんどの人は知らないのです。
やはり、あまり有名ではないのだとは思ってみるのですが、意外に興味を示す方が多いのです。
そこで、少しその話をさせていただきたいと思います。

 東海道と言えばもちろん、江戸時代の東海道53次(江戸と京都間)を皆さんは思い浮かべるでしょう。
古東海道はそれよりずっと前から整備されていた七道の一つです。
スタートは伊賀上野で、伊賀、志摩、伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸の各国を結んでいました。
終点常陸国の国府が現在の石岡です。

現在の東海道とある程度ダブルところもありますが、もっとも大きな違いは当時はまだ江戸はいくつも川が流れ込んでおり、湿地帯が多く歩くにも困難な土地であったことです。
そのため、鎌倉から葉山へ行き、そこから三浦半島を横断して衣笠を通って横須賀へ行き、横須賀の走水(観音岬)より千葉県の富津岬へ東京湾を舟で渡っていたのです。
このためヤマトタケルがここを渡る時に嵐に襲われ、波を静めるために后である弟橘媛が入水して波を静めた話が伝わるのです。

東京湾を舟で渡っていたため、千葉県では渡ったところが上総(かずさ)国(国府:市原市)で、その先が下総国(国府:市川市)と東京に近い方が下となるのです。
また、ヤマトタケルのこの時詠んだ歌(君さらず)から「木更津」や「君津」の地名が生まれたとされています。また弟橘媛の着物の袖が流れ着いたところが「袖ヶ浦」です。

この先は、現在の国道16号に沿って海沿いに北上し、五井駅の近くで右折し、市原市を通り、さらに北上し市川市に入ります。
市川市より北上し国府台を通って、松戸へ出ます。
ここまでは、ある程度道がわかっているのですが、この松戸から石岡までのルートがまだはっきりしていないのです。
現在の6号やその前の水戸街道とはかなり違ったルートであったことはわかっています。

江戸時代前までは利根川は現在のように銚子へ流れるのではなく、東京湾に流れており、霞ヶ浦や手賀沼などは一体の大きな内海(香取の海)でした。
従って、松戸からは東に少し行って、そこから舟で龍ケ崎へ渡り、さらに美浦村の牛込から、かすみがうら市の牛渡へ舟でまた渡り、三村の方から石岡へ向かっていたものと考えられます。

こんなルートを考えて、足を延ばしたりしていると、知らぬ間に古代からお誘いを受けたりしてしまいます。
縄文人がたくさん住んでいたところもたくさんあります(貝塚でわかります)。

皆さんも少しそんなことも考えてみませんか?

詳細は私のホームページに載せていますので見てください。→こちら
 

古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/20 19:17
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