平家ゆかりの寺・萬福寺(その1)-仁王門
行方市羽生に萬福寺という天台宗の古寺がある。
ここは「平家ゆかりの寺」といわれているが、あまり知られていないようだ。
前にも訪れてはいるが、久しぶりに立ち寄ってみた。

行方市羽生地区の国道355線からすこし山側に入った住宅街の奥に鎮座している。
入口にそれほど大きくは無いが立派な藁葺き屋根の山門(仁王門)がある。

現地案内板を見てみよう: 萬福寺 仁王門(県指定有形文化財)
この仁王門は天正6年(1578年)に稲敷市小野(旧新利根町)の逢善寺(ほうぜんじ)に建立されたもので、享保9年(1724年)逢善寺で新たに仁王門を建立するにあたり、当時萬福寺住職であった快尊(かいそん)が、以前逢善寺の留守住職をしていた縁故から、古くなった仁王門を譲り受け、解体して霞ヶ浦を船で運びここに移築されたものです。
形式は三間一戸の単層で、屋根は萱葺き、入母屋造り、組み物には種々の彩色を施した彫刻があります。また、金剛柵に囲まれて安置されている仁王像は平成23年5月26日に市文化財に指定されています。細部に唐様式を認める室町時代末期の作柄を持つ貴重な建造物です。 (これは市のHPに記載されたもので、上の看板と少し違いがあります)




茨城県の文化財ということで文化財のHPより仁王像の写真をお借りしました。
1719年(江戸時代)に作られたヒノキ材の寄木造り
仁王門がここに移された時期に近い。
では、移される前にあったという稲敷市の小野にある「逢善寺」を見てみよう。
この小野もおそらく小野川の名前の由来となったのだろう。
稲敷市小野の逢善寺(ほうぜんじ)は茨城県でもかなり古い大きな寺で小野の観音様として知られる寺です。
以前に記事を書いていますので興味があれば見てください。
以前書いた記事: 逢善寺(1)⇒ こちら1、 逢善寺(2)⇒ こちら2、 逢善寺(2)⇒ こちら3

<逢善寺仁王門>
仁王門は、明治2年(1869)に東京麹町の日枝神社山門を移築したもので、太田道潅が文明年間(1469~87)に建造したものと伝えられています。
八脚門で、屋根は切妻造の銅板葺であり、柱、壁などすべて朱漆塗りで、蟇股の彫刻には彩色が施されています。
現在の仁王門は、解体修理が行われ、中世の均整美が再現されています。
と説明には書かれています。
江戸の日枝神社山門を明治初期の廃仏毀釈の時に移築したというのでかなり立派なものだ。
こちらの行方市に仁王門を移して、作ったという山門(仁王門)がその前にはあったと思うが、その記録はわからない。

稲敷市逢善寺仁王門の仁王像
こちらも江戸の日枝神社仁王門と同時に移されたものと考えられている。
像の墨書銘から応永9年(1402)の作であることがわかっています。
萬福寺の仁王門・仁王像と稲敷市の逢善寺の仁王門・仁王像を比較してみました。
ここは「平家ゆかりの寺」といわれているが、あまり知られていないようだ。
前にも訪れてはいるが、久しぶりに立ち寄ってみた。

行方市羽生地区の国道355線からすこし山側に入った住宅街の奥に鎮座している。
入口にそれほど大きくは無いが立派な藁葺き屋根の山門(仁王門)がある。

現地案内板を見てみよう: 萬福寺 仁王門(県指定有形文化財)
この仁王門は天正6年(1578年)に稲敷市小野(旧新利根町)の逢善寺(ほうぜんじ)に建立されたもので、享保9年(1724年)逢善寺で新たに仁王門を建立するにあたり、当時萬福寺住職であった快尊(かいそん)が、以前逢善寺の留守住職をしていた縁故から、古くなった仁王門を譲り受け、解体して霞ヶ浦を船で運びここに移築されたものです。
形式は三間一戸の単層で、屋根は萱葺き、入母屋造り、組み物には種々の彩色を施した彫刻があります。また、金剛柵に囲まれて安置されている仁王像は平成23年5月26日に市文化財に指定されています。細部に唐様式を認める室町時代末期の作柄を持つ貴重な建造物です。 (これは市のHPに記載されたもので、上の看板と少し違いがあります)




茨城県の文化財ということで文化財のHPより仁王像の写真をお借りしました。
1719年(江戸時代)に作られたヒノキ材の寄木造り
仁王門がここに移された時期に近い。
では、移される前にあったという稲敷市の小野にある「逢善寺」を見てみよう。
この小野もおそらく小野川の名前の由来となったのだろう。
稲敷市小野の逢善寺(ほうぜんじ)は茨城県でもかなり古い大きな寺で小野の観音様として知られる寺です。
以前に記事を書いていますので興味があれば見てください。
以前書いた記事: 逢善寺(1)⇒ こちら1、 逢善寺(2)⇒ こちら2、 逢善寺(2)⇒ こちら3

<逢善寺仁王門>
仁王門は、明治2年(1869)に東京麹町の日枝神社山門を移築したもので、太田道潅が文明年間(1469~87)に建造したものと伝えられています。
八脚門で、屋根は切妻造の銅板葺であり、柱、壁などすべて朱漆塗りで、蟇股の彫刻には彩色が施されています。
現在の仁王門は、解体修理が行われ、中世の均整美が再現されています。
と説明には書かれています。
江戸の日枝神社山門を明治初期の廃仏毀釈の時に移築したというのでかなり立派なものだ。
こちらの行方市に仁王門を移して、作ったという山門(仁王門)がその前にはあったと思うが、その記録はわからない。

稲敷市逢善寺仁王門の仁王像
こちらも江戸の日枝神社仁王門と同時に移されたものと考えられている。
像の墨書銘から応永9年(1402)の作であることがわかっています。
萬福寺の仁王門・仁王像と稲敷市の逢善寺の仁王門・仁王像を比較してみました。
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