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石岡地方のよもやま話(その7)-明治期の産業

 石岡市街地の明治期の主な産業は次の3つ。

1)醤油醸造
2)酒醸造
3)製糸産業

明治22年に正岡子規が水戸の友人の処へ行く途中で石岡に宿泊している。
そこで当時の石岡の印象を子規は「石岡は醤油の名處也」と書いている。
醤油や酒の醸造所が高浜を含む市内にはたくさんあって、そこには大きな高い煙突(多くが赤レンガ造りだった)がそびえていた。
この明治22年はまだ常磐線が開通しておらず、鉄道が開通したのは明治28年だった。
その当時の様子を知るには、明治34年に書かれた平野松次郎氏の「石岡繁昌記」がある。
ここに少し面白い内容があるので紹介しておこう。
それは町の財政の話だ。
ただし、高浜が村から町になったのが明治22年で、石岡町に編入されたのは昭和28年であるので下記数値には高浜は含まれていないと思われます。

・酒醸造:税金145,310円 石高12,102石
・醤油醸造:税金22,312円 石高11,156石
・蚕絲業:税金167,350円 従業者157名
・地祖:7,901円
・所得税:2,078円
・営業税:2,378円
・人口:男 6,997人 女 6,718人 戸数: 2,493戸

どうですか? 諸税合算で34~35万円程度であるが、現在の価格にすれば60~70億円程度だろう。
かけ蕎麦などの価格が2銭程度であった時代だ。当時の1円は今の2万円ほどの価値があった。
酒・醤油の醸造関係と製糸産業で町の財政の90%程度をまかなっていた。
しかし、酒の醸造はまだ府中誉、石岡酒造、白菊(廣瀬)酒造、藤田酒造などで続けられてはいるが、他の2つの産業はほとんど消滅してしまった。

そんな跡をたどっていくとこの町の明治期以降の繁栄・衰退などが見えてくる。

明治38年の石岡駅の時刻表によると上下各6本で、上野-石岡間(蒸気機関車)は約3時間でした。

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参考までに、明治42年の「茨城県統計書」に掲載された郡別の醤油生産高を載せておきます。
新治郡: 製造所数 49 、生産高 17,458 石 (茨城県全体の20%)
 (新治郡の内訳)
  ・土浦 製造所数  9、生産高 1,728 石
  ・石岡 製造所数 16、生産高 7,639 石(高浜を含む)
と圧倒的に石岡の方が多いのです。


石岡地方のよもやま話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/11/29 08:15
コメント
水と繁栄
昭和30年代子供心に酒屋って沢山あるなという印象でした。市中北部では香丸町の柴野、角倉、青木町の境屋、若松町の石毛の4軒は1kmとない区間にありました(現在は角倉が販売のみ!?で醸造は廃業)。
それでも過当競争になる心配は無かったのでしょう。豊富な水と穀物が得られるので、醤油と並び他所であまり出来ない醸造産業が可能だったのかと。

当時石岡のお大尽は醤油と酒と繭・穀物の仲買あたりと誰もが認めていました。またそれだけの産業があると料亭も有名処がありました。(現在は業種転換しています。)
流通も細い当時は街中にあらゆる生活用品をあつかう店がありました。それら個人商店は転換は出来ず、消え去るのみでそれが地方都市の現状になっているのでしょうか。
忠顕 様
> 昭和30年代子供心に酒屋って沢山あるなという印象でした。市中北部では香丸町の柴野、角倉、青木町の境屋、若松町の石毛の4軒は1kmとない区間にありました(現在は角倉が販売のみ!?で醸造は廃業)。

私には知らないことばかりです。貴重な情報ありがとうございます。

> 当時石岡のお大尽は醤油と酒と繭・穀物の仲買あたりと誰もが認めていました。またそれだけの産業があると料亭も有名処がありました。(現在は業種転換しています。)
> 流通も細い当時は街中にあらゆる生活用品をあつかう店がありました。それら個人商店は転換は出来ず、消え去るのみでそれが地方都市の現状になっているのでしょうか。

まあ、今の石岡を見ていてもどうも未来志向が希薄なように感じます。
私のようなよそ者(新参者)が「よもやま話」などということを書くというのはおこがましいのですが、少しでも書いて残しておくことも必要だと思っています。
昔の情報うれしく拝見しました。


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