fc2ブログ

石岡地方のよもやま話(その8)-白鹿

 現在石岡市内には「府中誉」さん、東大橋に「石岡酒造」さん、高浜に「白菊(廣瀬商店)」さんが比較的大きく酒造りをしています。
この酒造りの歴史は結構古く、江戸時代から続いています。

この歴史を証明するような出来事が昭和の裁判にありました。

現在の「石岡酒造」さんは、ここ府中(石岡)で200年~300年前から酒造りを行なってきた蔵元4社(白鹿、冷水、しばのや、大徳」が合併して昭和47年に創業されました。そして、その中心銘柄は「白鹿」でした。

この「白鹿」という名前は灘の酒が有名ですね。
実は、この灘の酒造会社(辰馬本家酒造)から「白鹿」の名前を使うことを差し止める訴訟が昭和29におこされました。
まだ石岡の酒造会社4社が合併する前です。
灘の会社に比べれば石岡の白鹿などかなり小さい会社だったのです。

この裁判の焦点は「どちらが先にこの名前を使い始めたかという酒造りの創業の歴史」でした。 
しかしこの決着はなかなかつかず、裁判は約15年間続きました。

その裁判の決着はほぼ石岡の白鹿に軍配が上がったと言ってよいでしょう。

その内容は、歴史的にはどちらも古く、どちらが先かを判断できないため、ラベルとして区別するために 石岡の白鹿は横書き「白鹿」、灘の白鹿は縦書きで「黒松白鹿」にするというものでした。

今でも石岡の白鹿は作られていますが、かわいい子鹿のマークとともに横文字の白鹿が入れれています。
白鹿は大衆酒の分類でしたので、今の石岡酒造さんでは山田錦などの酒米を使った大吟醸「筑波」などのブランド酒が中心となっています。

白鹿

ではそれぞれの白鹿の名前の由来を見てみましょう。

1)灘の白鹿(辰馬本家酒造)
 「中国の唐の時代(617-917年)、玄宗皇帝の宮中に白鹿が迷い込み、仙人によりこの白鹿が千年前から生きている鹿であると看過されました。またこの鹿から1000年以上前の漢の武帝時代の銅牌が発見され、それ以降白鹿が大変愛養されたとの故事により命名されました」(辰馬本家酒造ホームページより抜粋)

2)石岡の白鹿
 「元禄年間創業の白鹿醸造本店の先祖が鹿島神社に詣でた際、白い鹿に乗った神人が夢枕に現れて酒の製法を伝授したという言い伝えによっています」

この鹿島神宮の鹿ですが、奈良公園の鹿ととても縁があるのです。

もともと奈良の地には自然の日本鹿が多くいたとも言われておりますが、白鹿は神の使いとみなされており、各地でさまざまな伝説が伝わっています。
奈良の春日大社は藤原氏が建てた神社ですが、神社の創建は、鹿島神宮の神である武甕槌命が白鹿に乗って降臨した(768年)とされています。
奈良に鹿が多くいたことは7世紀後半から8世紀後半に詠まれた歌集「万葉集」にも鹿の啼く様子が、詠まれていることから推察できますが、鹿島神宮での鹿の歴史も古く、現在30数頭の日本鹿が飼われている神宮境内にある「鹿園(ろくえん)」の説明書きによると、出雲の国譲りの際に、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大御神の命令を武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、鹿が神の使いとされているとのことです。
また、「春日大社の創建」の時(767年)には、白い神鹿(しんろく)の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行った伝えられています。
この鹿の移動は陸路で送られたようで、鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っているとされているといわれています。
そのため奈良地方にも元々鹿は棲んでいたが、少なくとも春日大社には鹿島神宮の鹿が渡ったと考えても良いのではないかと考えられます。
また、鹿島(香島)神宮も常陸風土記では「香」が使われていますが、他の古い文書などではすべて「鹿」の字が使われています。
この歴史も古く、養老7年(723年)頃といわれています。

鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か新たに導入されており、現在飼われているのは奈良の神鹿の系統を受けていると現地の説明板には書かれています。
また、春日大社側の記録によると、948年に常陸国府(現石岡市)より鹿7頭が春日大社へ送られています。春日大社の鹿も長い年月の間に絶滅の危機もありましたが、その時代ごとに、鹿の保護に力が入れられてきました。しかし、鹿島の鹿は絶滅の危機が訪れ、春日大社の鹿を譲り受けて現在に至ったようです。

石岡地方のよもやま話 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2018/12/01 07:13
コメント
白鹿
白鹿酒造は駅から八間道路の左の上り坂を少し上がった所にあったので「白鹿」と大書した看板が駅前からよく見え宣伝効果絶大でした。

当主の山本氏は石岡市長をつとめた人ですね。市長になった昭和50年代はわたしは既に石岡を出ていましたが、関心を呼んだ選挙だったと聞きました。山本氏は清潔派の評判で、私の親は小学生の孫からも‘山本さんに入れてよ’と言われたと笑っていました。

道は昔と同じ形で同じ想いを呼び起こします。白鹿への道は駅前なのに細い曲がりの上り坂で、大げさに言えば、違う領域へ導くような感じがあります。
Re: 白鹿
> 白鹿酒造は駅から八間道路の左の上り坂を少し上がった所にあったので「白鹿」と大書した看板が駅前からよく見え宣伝効果絶大でした。
この場所は、現在のイシオカプラザホテル前の有料駐車場となっている場所ですね。
メゾン・ド・ルアなどという洋品店もあります。でもこの洋品店さんは新潟出身かも・・・
またすぐ手前に昔「おかめ湯」という銭湯もあったようです。
(昭和10年頃の地図を見ています。)

> 当主の山本氏は石岡市長をつとめた人ですね。
石岡プラザホテルもたしか山本さんという方です。
現在市会議員となっている山本進さんという方がこの方のご子孫でしょうかね。


> 道は昔と同じ形で同じ想いを呼び起こします。白鹿への道は駅前なのに細い曲がりの上り坂で、大げさに言えば、違う領域へ導くような感じがあります。
当時の印象ありがとうございます。

No title
興味深く読ませていただきました。
10数年前に亡くなった祖父は、山本家出身で、時々、当時のことや裁判のことを話していましたが、詳しくは聞いていなかったので、裁判の背景などがよく分かりました。
もっと、いつごろから、どのように酒造業が起こっていったのか、もっと知りたくなりました。
ありがとうございました。
旧姓 山本 さま
 ご連絡ありがとうございます。
私はまだ石岡に来て10数年くらいにしかなりませんので、この町ではよそ者、新参者です。
それでもこの町に来てどこか懐かしい感じがする町が気に入り、いろいろ歴史を調べたりしました。
その中で得た情報をこうして発信しているのですが、記事に興味を持ってくださる方がこうしてご連絡いただくととてもうれしくなります。
山本家は石岡駅前にあった白鹿の創業者ですよね。
今はプラザホテルとなっている敷地とその前の駐車場あたりだったのでしょうか。
ホテル経営もされているのでしょうね。

近年は人口減少もあり徐々に町が寂しくなるように感じるこの頃ですが、かつての勢いのある街に復活してほしいと願うものです。

また1300年前からの歴史も大切に掘り起こして情報発信も続けていけたらと思っています。
時々ブログもまた覗きに来ていただけうれしいです。

酒造業、醤油などの醸造業などの歴史も見ていくことも忘れたくないですね。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理者のみに表示