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石岡地方のよもやま話(その13)-府中の祇園まつり

 石岡のおまつりは常陸国総社宮の例大祭の行事であるという。

しかし、江戸時代には総社宮でこのような祭りは行われていなかった。
この話はまた別な機会とするが、今回は旧石岡の市街地(府中)にて行われていた祇園まつりについて記録を調べて残しておきたいと思います。

江戸時代には各地に天王社と呼ばれる社が数多く存在しました。
この社ではインドの祇園精舎の守護神といわれている牛頭天王(ごずてんのう)を祀っています。
また、インドの神ですので神社でなくお寺に分類されていました。

このインドの神は朝鮮半島から対馬を経由して日本にはいってきたのですが、愛知県津島市に総本山(天王社、現在の津島神社)ができ、現在も全国に3000社も分社があるのです。

当然牛頭天皇はインドの祇園精舎の守護神ですから、この天王社の祭りは「祇園まつり」と呼ばれています。
京都の八坂神社の祇園まつりも、神社の祭神がスサノオノミコトとなってはいますがルーツは同じです。

江戸時代に東国ではこの天王社の夏のお祭り(祇園まつり)が各地の庶民の間で争うように行われてきました。

ここ府中でもこの天王社が中町の矢口本陣の近くにありました。
この祭りも宝暦から明和期(1751年~1772年)の江戸中期の頃がもっとも盛んであったようで、府中の町の各町が出し物を出して、町を練り歩いたといわれています。

この祭りは旧暦6月14日に行われていました。出し物は、

一番 冨田のささら
二番 中町のやたいおどり
三番 香丸の子供おどり
四番 守木の子供おどり
五番 木之地のみろく(弥勒人形)
六番 泉町のふし
七番 幸町の田打おどり
八番 青木町のほうさい(泡斉:念仏踊り、ちんちんちん 人形)
九番 若松町のかたかた
十番 中之内のほろ
十一番 金丸の人ささら
(石岡市史 下巻より)

となっていたと記録にはありますが、実際にどのようなものだったのかは多くのところが踏襲されていないためにわからなくなっています。
冨田のささらは今の祭りでも先頭で、これを明治35年に総社の祭りとして復活させたのが今の「石岡のおまつり」です。

もともと総社宮では例大祭と相撲などが行われていただけで、祇園祭などは行われていませんでしたので、この祭りが八坂神社などで行われている「祇園祭」と同じだというと少しおかしく感じるかもしれませんね。

また、この天王社の祇園祭に加えて、木之地町の愛宕神社のお祭りが7月2日に行われていました。
この2つの祭りも続くために財政的は各町が厳しくなり、江戸の終わり頃には隔年でやったりしていたようです。

明治になり廃仏毀釈で天王社は八坂神社に名称を変え、存続していましたが、天狗党の乱、明治維新の混乱期で祭りは立ち消え、神社もいつの間にか姿を消し、この八坂神社(天王社)は総社宮に合祀されました。

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(木之地のみろく:わずかに残された人形から復活したもの)

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(冨田のささら:三匹の獅子人形 棒を操って踊る。棒ささら) (人がかぶって踊るのが人ささらだがこの獅子は棒ささらである。ヤタガラスのマークをつけていて、行列を先導する)



石岡地方のよもやま話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/12/14 20:19
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