蜘蛛の糸
「昔話について」 前回のカニの恩返しに引き続き、残しておきたいと思った話の第2弾は、あの有名な芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。
学校の教科書にも大概載っていたと思いますので、知らない人もほとんどいないお話です。
小説家芥川龍之介が始めて書いた児童向けの小説です。
大正7年(1918)に鈴木三重吉がはじめた『赤い鳥』の創刊号に発表されたものです。
内容をWikipediaに書かれた内容から書き写してみよう。
「釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。
罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。
カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。
それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。
それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。
暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。
このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって「この糸は俺のものだ。下りろ。」と喚いた。
すると蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。
無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。」
このようにあらすじだけ書くと、この小説のよさが何も伝わらない。
しかし、全文は載せられない。 (青空文庫で呼んでみたい方は → こちら)
ただ最後の部分だけをここに載せておきましょう。
「御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカン陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとするカン陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう」
やはり小説家の文章は違いますね。
ではこの話はどこから思いついたのでしょう。
<1> もっとも有力視されているのが、宗教家ポール・ケーラスが1894年に書いた『カルマ』を、日本の禅の大家である鈴木大拙が翻訳して出版した『因果の小車(いんがのおぐるま)』であるといわれています。
この話は、やはり蜘蛛の糸が題材に使われているのですが、内容が難しすぎて全部を読むのは大変です。
(国会図書館デジタルコレクションより → こちら)
これが発表されたのが明治31年9月。
この蜘蛛の糸に引用されたものはごく一部で、
「慈悲深い僧侶が、懺悔する悪人・マハードータ(摩訶童多)に諭す時に、この話をひとつの例として聞かせているのです。
それによると、昔、カンダタという悪人が地獄で苦しんでると、仏陀が現れ、まったく話のスーリーは芥川の蜘蛛の糸とほぼ一緒になるのです。
そして、最後に、僧侶は次のように諭すのです。
「ひたすら上を目指せばカンダタは救われたし、実は大勢で上る方が容易なのだ。
にも関わらず、彼は我執にとらわれて、下に心をとらわれてしまった。
我執こそ地獄、正道こそ涅槃だ」と。
これを聞いたマハードータは「私に蜘蛛の糸を上らせてください。地獄から抜け出せるよう努力します」と。
元の話は禅の思想を示す話ですが、芥川の話にはこの話は省略されています。余分なものは書かない方がいいのです。
また、
<2>スペイン、イギリス、スウェーデンなどに伝わる話。
こちらはキリスト教の伝説的な話になっていて、地獄にいる母親を引き上げようとしたが、後ろからしがみつく魂や人々に悪態を付いたため、地獄にまた落ちてしまう話となっています。
<3> ドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟・・・1本の葱(ネギ)
この長編小説の中にたとえ話として乗っている話があります。
「昔むかしあるところに、それはそれは意地の悪いひとりのお婆さんがいて死んだの。
そのお婆さんは生きているうちにひとつもいいことをしなかったので、悪魔たちに捕まって、火の海へ投げ込まれたの。
お婆さんの守護天使は、何か神様に申し上げるような良い行いが思い出せないものかと、じっと立って考えているうちに、ふと思い出して、そのお婆さんが野菜畑からねぎを一本抜いて乞食にやったことがあるのを神様に申し上げたの。
すると神様はこうお答えになった。
それではその一本のねぎを取って来て、火の海にいるお婆さんに差し伸べてやり、それにつかまらせてたぐり寄せるがいい。
もし火の海から引きあげることができたら、天国に行かせよう。
でも途中で千切れたら、お婆さんは今いる場所にとどまるのだと。
天使はお婆さんのところに走って行ってねぎを差し伸べ、さあお婆さん、これにつかまってあがって来なさい、こう言って、そろそろと引きあげにかかったの。
すると、もうひと息で引きあげられるという時に、火の海にいた他の罪人たちが、お婆さんが引きあげられているのを見て、一緒に引きあげてもらおうと、我も我もとお婆さんにつかまりだしたの。
お婆さんはそれはそれは意地悪だったので、みんなを足で蹴散らしながら、『引きあげてもらっているのはあたしで、お前さんたちじゃないよ、あたしのねぎで、お前さんたちのねぎじゃないよ』と言ったの。
お婆さんはこう言うやいなや、ねぎはぷつりと千切れてしまい、お婆さんは火の海に落ちて、今だにずっと燃えているの。
天使は泣く泣く帰って行った。」
こんなお話です。スウェーデンの民話に近い話になっています。ただここでは糸ではなくネギが出てきます。
<4> 日本の民話 :山形県、福島県、愛媛県などに伝わる民話「地獄の人参」「腐った人参」
ここでは、まんが日本昔ばなしで紹介された「地獄の人参」のあらすじを載せて起きます。
「昔、悪たれ婆さんが死に、生きている間にあくどく貯めた金を握りしめて、地獄に落ちた。
婆さんは、全てのお金をえんま大王に差し出し、極楽に行かせてもらえるように頼んだ。するとえんま大王は「ばかもの。極楽に行かせてもらうには、良いことをしたことのある者でなければならぬ。」と言った。
婆さんは「わしは一度だけ良いことをした。旅の乞食坊主に腐った人参を渡した事がある」と言い、しばらく考えていたえんま大王は「たとえ腐ったニンジンにせよ、人に施(ほどこ)し物をするという心があったならば、極楽に行かせてやろう。血の池に浮かぶ人参にすがれ。」と、婆さんに言った。

(まんが日本昔ばなし より)
婆さんは「これで極楽に行ける」と大喜びし、血の池に浮かんでいた人参を手にした。人参は婆さんと一緒にするすると極楽に向かって高く高く登りはじめたが、この様子を見た他の亡者たちは次々に婆さんの足につかまった。
焦った婆さんは「大勢の人が捕まったら、その重みで人参が崩れてしまう」と、足につかまる他の亡者たちを足でけり落とした。と同時に、婆さんの持っていた人参はホロリと崩れ、婆さんは再び地獄に落とされた。
自分さえ良かったら他人はどうでもいい、という卑しい根性だった婆さんは、結局極楽へは行けなかった。この様子を見ていたえんま大王は「やっぱり悪人は悪人だったな」と言い、極楽の仏様は小さくため息をついた。」
この民話が何時作られたものかは不明で、意外に新しいのかもしれません。
でもキリスト教の民話では「ネギ」であったのに、ここでは「人参」しかも「腐った人参」になったのでしょうか。
でも人参は人参でも「朝鮮人参」だったらどうでしょう。
ヒゲの長い人参を思い浮かべると、少し見える景色が違います。
髭人参などという高級な薬草になる人参があります。

(Wikipedia より)
でも欲の多い婆さんがケチでお金を溜め込んで死んでも、ろくな事にならないというたとえなのでしょうか。
今でもいかにもそんな金持ち婆さんがいそうですね。
このあたりの金持ちは貧乏人から搾取して、自分は何もしないなどという話も聞こえてきます。
自分が損をするなんて、とんでもない。
以前この地に来たばかりの頃、「だってこっちが損してしまう」なんて言葉を言われて愕然としたことがありました。
何も自分はしていないのに、隣の人に何かお金が入るだけで、自分が損をしたと思うらしいです。
隣の人が宝くじを当てたらどんなことになるのでしょうね。
「情けは人のためならず」なんて言うことわざも、きっと間違って理解しているのでしょうね。
学校の教科書にも大概載っていたと思いますので、知らない人もほとんどいないお話です。
小説家芥川龍之介が始めて書いた児童向けの小説です。
大正7年(1918)に鈴木三重吉がはじめた『赤い鳥』の創刊号に発表されたものです。
内容をWikipediaに書かれた内容から書き写してみよう。
「釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。
罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。
カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。
それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。
それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。
暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。
このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって「この糸は俺のものだ。下りろ。」と喚いた。
すると蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。
無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。」
このようにあらすじだけ書くと、この小説のよさが何も伝わらない。
しかし、全文は載せられない。 (青空文庫で呼んでみたい方は → こちら)
ただ最後の部分だけをここに載せておきましょう。
「御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカン陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとするカン陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう」
やはり小説家の文章は違いますね。
ではこの話はどこから思いついたのでしょう。
<1> もっとも有力視されているのが、宗教家ポール・ケーラスが1894年に書いた『カルマ』を、日本の禅の大家である鈴木大拙が翻訳して出版した『因果の小車(いんがのおぐるま)』であるといわれています。
この話は、やはり蜘蛛の糸が題材に使われているのですが、内容が難しすぎて全部を読むのは大変です。
(国会図書館デジタルコレクションより → こちら)
これが発表されたのが明治31年9月。
この蜘蛛の糸に引用されたものはごく一部で、
「慈悲深い僧侶が、懺悔する悪人・マハードータ(摩訶童多)に諭す時に、この話をひとつの例として聞かせているのです。
それによると、昔、カンダタという悪人が地獄で苦しんでると、仏陀が現れ、まったく話のスーリーは芥川の蜘蛛の糸とほぼ一緒になるのです。
そして、最後に、僧侶は次のように諭すのです。
「ひたすら上を目指せばカンダタは救われたし、実は大勢で上る方が容易なのだ。
にも関わらず、彼は我執にとらわれて、下に心をとらわれてしまった。
我執こそ地獄、正道こそ涅槃だ」と。
これを聞いたマハードータは「私に蜘蛛の糸を上らせてください。地獄から抜け出せるよう努力します」と。
元の話は禅の思想を示す話ですが、芥川の話にはこの話は省略されています。余分なものは書かない方がいいのです。
また、
<2>スペイン、イギリス、スウェーデンなどに伝わる話。
こちらはキリスト教の伝説的な話になっていて、地獄にいる母親を引き上げようとしたが、後ろからしがみつく魂や人々に悪態を付いたため、地獄にまた落ちてしまう話となっています。
<3> ドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟・・・1本の葱(ネギ)
この長編小説の中にたとえ話として乗っている話があります。
「昔むかしあるところに、それはそれは意地の悪いひとりのお婆さんがいて死んだの。
そのお婆さんは生きているうちにひとつもいいことをしなかったので、悪魔たちに捕まって、火の海へ投げ込まれたの。
お婆さんの守護天使は、何か神様に申し上げるような良い行いが思い出せないものかと、じっと立って考えているうちに、ふと思い出して、そのお婆さんが野菜畑からねぎを一本抜いて乞食にやったことがあるのを神様に申し上げたの。
すると神様はこうお答えになった。
それではその一本のねぎを取って来て、火の海にいるお婆さんに差し伸べてやり、それにつかまらせてたぐり寄せるがいい。
もし火の海から引きあげることができたら、天国に行かせよう。
でも途中で千切れたら、お婆さんは今いる場所にとどまるのだと。
天使はお婆さんのところに走って行ってねぎを差し伸べ、さあお婆さん、これにつかまってあがって来なさい、こう言って、そろそろと引きあげにかかったの。
すると、もうひと息で引きあげられるという時に、火の海にいた他の罪人たちが、お婆さんが引きあげられているのを見て、一緒に引きあげてもらおうと、我も我もとお婆さんにつかまりだしたの。
お婆さんはそれはそれは意地悪だったので、みんなを足で蹴散らしながら、『引きあげてもらっているのはあたしで、お前さんたちじゃないよ、あたしのねぎで、お前さんたちのねぎじゃないよ』と言ったの。
お婆さんはこう言うやいなや、ねぎはぷつりと千切れてしまい、お婆さんは火の海に落ちて、今だにずっと燃えているの。
天使は泣く泣く帰って行った。」
こんなお話です。スウェーデンの民話に近い話になっています。ただここでは糸ではなくネギが出てきます。
<4> 日本の民話 :山形県、福島県、愛媛県などに伝わる民話「地獄の人参」「腐った人参」
ここでは、まんが日本昔ばなしで紹介された「地獄の人参」のあらすじを載せて起きます。
「昔、悪たれ婆さんが死に、生きている間にあくどく貯めた金を握りしめて、地獄に落ちた。
婆さんは、全てのお金をえんま大王に差し出し、極楽に行かせてもらえるように頼んだ。するとえんま大王は「ばかもの。極楽に行かせてもらうには、良いことをしたことのある者でなければならぬ。」と言った。
婆さんは「わしは一度だけ良いことをした。旅の乞食坊主に腐った人参を渡した事がある」と言い、しばらく考えていたえんま大王は「たとえ腐ったニンジンにせよ、人に施(ほどこ)し物をするという心があったならば、極楽に行かせてやろう。血の池に浮かぶ人参にすがれ。」と、婆さんに言った。

(まんが日本昔ばなし より)
婆さんは「これで極楽に行ける」と大喜びし、血の池に浮かんでいた人参を手にした。人参は婆さんと一緒にするすると極楽に向かって高く高く登りはじめたが、この様子を見た他の亡者たちは次々に婆さんの足につかまった。
焦った婆さんは「大勢の人が捕まったら、その重みで人参が崩れてしまう」と、足につかまる他の亡者たちを足でけり落とした。と同時に、婆さんの持っていた人参はホロリと崩れ、婆さんは再び地獄に落とされた。
自分さえ良かったら他人はどうでもいい、という卑しい根性だった婆さんは、結局極楽へは行けなかった。この様子を見ていたえんま大王は「やっぱり悪人は悪人だったな」と言い、極楽の仏様は小さくため息をついた。」
この民話が何時作られたものかは不明で、意外に新しいのかもしれません。
でもキリスト教の民話では「ネギ」であったのに、ここでは「人参」しかも「腐った人参」になったのでしょうか。
でも人参は人参でも「朝鮮人参」だったらどうでしょう。
ヒゲの長い人参を思い浮かべると、少し見える景色が違います。
髭人参などという高級な薬草になる人参があります。

(Wikipedia より)
でも欲の多い婆さんがケチでお金を溜め込んで死んでも、ろくな事にならないというたとえなのでしょうか。
今でもいかにもそんな金持ち婆さんがいそうですね。
このあたりの金持ちは貧乏人から搾取して、自分は何もしないなどという話も聞こえてきます。
自分が損をするなんて、とんでもない。
以前この地に来たばかりの頃、「だってこっちが損してしまう」なんて言葉を言われて愕然としたことがありました。
何も自分はしていないのに、隣の人に何かお金が入るだけで、自分が損をしたと思うらしいです。
隣の人が宝くじを当てたらどんなことになるのでしょうね。
「情けは人のためならず」なんて言うことわざも、きっと間違って理解しているのでしょうね。
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